1969立山・初めての春スキー
日時:1969(昭和44)年5月21日(水)夜行〜25日(日)
参加者:NABE、Y本、N井、O野、K岩
コース:上野(夜行)/22:→富山→千寿ヶ原→立山荘→国見岳→立山荘(泊)/23:→室堂→一の越周辺→ベルクハウス(泊)/24:→別山→雷鳥沢→立山荘(泊)/25:立山荘周辺スキー→富山→米原→東京
1969.5.21(水)→曇
我がグループのリーダー・Y先生は、立山は5月連休では時期が早すぎるという。だから、暇な大学院生仲間で本格的な立山春スキーを楽しむべく、5月下旬という時期を選んだ。夜行寝台(多分北陸2号)で富山へ向かう。
1969.5.22(木)薄曇
朝4時台に目が醒め、富山に遅れて着いた。駅前の例の食堂で朝食。06:35の電車で千寿ヶ原、ケーブルカーで美女平、バスで弥陀ヶ原・立山荘へ。宿でパンを食べて、バスで天狗へ。国見岳に登る。夕方、立山荘の近くの斜面を1本だけ滑った。立山荘泊
1969.5.23(金)晴→快晴
若干のガスの中を天狗(までバスだっかかもしれないが記憶・記録なし)から室堂経由一の越まで登る(所要100分)。途中で10m以上の雪の廊下を歩く。ここが有名な東大谷ってところか。スキーを立てかけて写真を撮り、あとで計ったら12mぐらいあった。雪原を滑っていたらこの深さは分からないだろう(あぶない)。
一の越で昼食。一の越から戻って右へ入り、山崎カール下方から地獄谷方面へ滑って、雷鳥荘のあたりへ。今日の宿はベルクハウス(立山連峰ホテル)。
夕方、日没の頃、近所の凍った斜面を2〜3本滑る。宿は寒かった。
1969.5.24(土)快晴→薄曇
天気は下り坂の模様だが、朝はとても良い天気だった。雷鳥沢を登る。ここが有名な雷鳥沢か。最初は沢の左側の高い所を登り、途中でトラバースしたように(かすかに)記憶する。所要80分で別山へ。剣岳が目の前、初めて見る北アルプスの名峰、しかも至近距離、まさに鳥肌が立つ体験である。雑誌や写真集で有名なプロスキーヤーが何人も来ているらしい。雷鳥沢の下りは20分ぐらい。しかし小生のスキー技術では、こうした急斜面の腐れ雪はまだ苦手で、何度も何度も何度も転んだようだ。下山後、あまりに長閑な春の晴天で、雷鳥沢の下の草付で、上半身裸になって寝転んだ。何とも言えない贅沢な気分。
立山荘へ15時ごろ帰着。夕方また宿の裏山を滑った。
1969.5.25(日)雨→晴(強風)
朝、昨日とは別の裏山の薮の中を滑る。
当時はまだスキーが下手で、何日も「練習」しないと調子が出なかった。スキーとは基本的に「練習する」ものだった。これは、テニスコートで乱打(ストローク)だけやって、試合をしないで帰るようなものだが、テニスだってある程度打てるようにならないと試合が成立しないのだから、無理もない。しかし山スキーというのは、山登りをした後に、スキーを履いていきなり「本番」である。スキーも年季を重ねた後は、こういうのが平気になった。
それはさておき、今回の立山は今日でおしまい。朝のスキーは「練習ムード」だったが、下手な小生も概ね好調に滑った。小雨が時々降る。
10:50のバスで下山する。弥陀ヶ原のカーブの連続する道路を、バスは超スピードで快走する。途中で雲の中に入る。美女平の下の道路が出来て、今まで見たことの無い自動車がいろいろ走り出した。途中の道路にも駐車場が出来始めた。これで自然破壊は確実に進むだろう。
13:20ごろ富山に着いたら、Y先生のお母様が駅へ来ておられた。急いで13:29の急行に乗って米原へ、17:12のこだま(遅れて16分ごろ)に乗って、遅れて21:07に東京に帰着した。