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1970立山黒部大滑降・アルペンルート開通前
日時:1970(昭和45)年5月1日(金)〜5日(火)
参加者:NABE、Y本、N井

5月1日(金)快晴
 白山下の下宿から水道橋まで歩いて、上野へ。21:28発の北陸2号で富山へ出発だが、隊長のY先生が現われない。この分じゃ大宮乗車かと思ったら、ぎりぎり最後尾の車輌に飛び乗っていた。22時過ぎからベッドに入ったが、寝台車はあまり眠れない。若い女性の旅行客が圧倒的に多く、スキー客も大勢乗ってた。

5月2日(土)晴・薄曇
 早朝05:38富山着。例によっていつもの早朝営業の駅前食堂で朝食。地鉄(富山地方鉄道)には一番前に陣取って、千寿ヶ原では走ってケーブルカーに乗車。美女平でもうまく走ってバスは最前部の席に座った。これで弥陀ヶ原の景色が存分に楽しめる。最前部の席を取っておきながら眠るというもったいないことをする奴がいるが、あれには腹が立つ(後年、後輩K君は、中央アルプス千畳敷ロープウェイ行きバスの一番前で寝てた客に「寝るんだったら席を変わってくれ」と言ったとか言わなかったとか・・・)。荷物は鱒寿司を入れたら15sほどになった。
 09:30頃、立山荘に着いた。雪は白く、このへんで道路両脇は5mぐらいの廊下状態。これなら富山方面へ帰るにしても美女平まで滑れそうだ。夜行で眠れなかったが、とくに昼寝もせず出発。お腹が減ってたまらんから、美松山荘で鱒寿司とパンと蜂蜜。
 今日は結局、天狗まで行って、そこからまっすぐ国見岳に登って、右へ行こうとしたがやめて、左から滑った。美松で1本登り返して、林間のギャップでジャンプして遊ぶが、当時はまだスキーが下手で、ジャンプでは潰された。林間コースを立山荘まで帰ったら15:30。さすがに眠く、ロビーで17時までうたた寝した。しかし17時、復活。裏山の近い方(高い方)を1本だけ滑った。
 夕食、寝る。このころいつも泊っていた立山荘は、富山県教育委員会の施設で、Y先生父君(富山の教育関係長老)のつてで取ってもらう。公共施設らしい質素な大部屋だが、今回は2階の奥の間仕切のある特別室に3人だけだったので快適だった。

5月3日(月)快晴
 すっごい天気だ。顔や腕が真っ赤に腫れてしまった。この頃はまだ日焼けの怖さが身に沁みていなかったと見える。暑い暑いと、腕まくりし、覆面もしないで歩いていたんだろう。08:40出発、今日はかなりのハイペースで登り、室堂で昼食。一の越まで登る。ここから黒部川方向へ滑りたい欲求にかられるが今日は我慢して戻る。
 下りで右へ入って、山崎カールへ取り付き、スキーを脱いで坪脚で登る。だんだん急になるが、がんばって蝋燭岩まで登った。雄山の頂上は指呼の距離、もう少しがんばれば、あと20〜30分で行けそうだった(アイゼンが欲しいけど)。
 蝋燭岩からは雷鳥荘まで(ちょっとこのへん記録曖昧)一気に下る。たった20分で着いた。最後のものすごいスピードの直滑降は気持が良かった。その後はせっせと歩いて、天狗の上から先は、ただ下るのみ。最後は立山荘の裏手の林間の開けた斜面を快調に下った。雪は全般に腐っていて状態は良くない。しかし暑い、馬鹿陽気で、富山市で25℃まで上がったそうだ。
 立山荘で風呂・飯・ビール。Y先生は飲めないし、N先輩もあまり飲まないので、当時既にのんべい状態だった小生は「欲求不満だった」と日記に書いてある。顔と腕が火照って眠れない。

5月4日(土)快晴→曇→晴
 朝目覚めると、顔が腫れて形が変わっている。目も半分しか開かない。これ以上焼いたら命取りだから、覆面だ。古タオルで部分的に繊維が伸びて網状態になったのを持っていたから、ちょうど網の所が目に当るように顔に巻いて、ゴーグルで押さえた。ゴーグルにはIBMパンチカードを嘴状に付けて、烏天狗状態。これで安心だが、最初からやるべきだった。
 今日は室堂小屋に泊るから、荷物が重い。今日も暑くて登りが辛い。小屋ごとに休憩して、道々雪を齧り、室堂に着いたらビールをがぶ飲み。室堂小屋では顔がぱんぱんに腫れ上がって冷水でずっと冷やしている悲惨な男がいた。明日は我が身。
 14時に室堂小屋を出て、浄土山へ向かう。すれ違った女性2人パーティーが小生のタオル覆面を見て「きゃーかっこええ」と、妙に受けた。1時間25分の登りで、ガスが薄く掛かって涼しい浄土の山頂へ。竜王は日本離れした良い山容だ。ここから御山谷方面へ滑って行けそう。腐って滑りにくいざばざば・じゃばじゃばの雪だが、何とかこなして降りた。17時過ぎにもう1本滑ったが、まだ気温が高く雪質は変わらず。靴の中はびしょ濡れ状態。
 宿は相部屋で、さっきすれ違って覆面に驚いた女性2人と何と同室。もう一人若禿げで押し付けがましい物の言い方するお喋り野郎。

5月5日(火)今日も快晴
 今回は黒部ダム経由で帰京しようということになった。朝飯はごはんに芯があって不味かったが標高2600mだから我慢しよう。8時前に出て一の越へ向かう。一の越で一休み。今日も絶好の快晴で、槍ヶ岳や笠ヶ岳が実に綺麗に見える。峠からは東一の越までの夏道沿いに凍った斜面の斜滑降だが、岩の上に出るとスキー靴ではちと苦しい(このころは、山ではずっとスキー靴だった。まだ兼用靴などという便利なものは我が国に入っていなかった)。結局ほとんど歩いたことになる。
 ここから見るタンボ平はとにかく広く、スケールの大きい景観に鳥肌が立ちそう。右下の小山の向うには緑色のダム湖が見えるが、ダムは山陰で見えない。まもなく開通する黒部立山アルペンルートは、まだ大町側からは地下ケーブルまでしか営業していない。雄山・大汝の手前の山腹に突っ込むようにロープウェイが上空を走っているが、あれは試運転中。
 さてこの大斜面を滑降。重くてぐさぐさの雪で、後傾してストックを突いて強引に体重を掛け、えいやーっ、ぐいーっ、と曲がるこつを覚えたが、何度も尻餅を突いた。約30分の滑降で平地へ降り、樹脂だらけの真っ黒な雪の上をえっちらおっちら歩いて、地下ケーブル駅(駅名は「黒部平」だが、当初はたしか「黒部御前」だったように記憶する)へ。振り返ると立山がすばらしいスケールで迫り、その左肩から我々のシュプールが付いたばかでかい大斜面が広がる、まさに絶景。
 ケーブル駅へ着いて、白いところを探して雪を食べてたら、展望台から男1+女3(内1人は可愛い)のグループが、ずっと望遠鏡にコインを入れ続けて見てました、プロスキーヤーの方ですか、サインして下さい、と言って寄って来た。確かに黒部ダムから一番山奥の果てまで来て、まさかあの山の向う側にスキーヤーが滑っているなど想像していないだろうから、我々を見てよほどびっくりしたんだろう。ただただ感心して根掘り葉掘り聞いてくる。満更でもない気分。
 まだ山を巻いて行けば滑れないことも無さそうだが、ここでスキーはやめよう。靴にわざわざ雪を付けて、落とさないようにそっと歩いてケーブルへ。10:30に乗ったが、まさに100%地下。下車して少し歩くとダムサイトに突然出る。そこはもう5月連休の観光地、人がいっぱい。数日間山にいた後に、急にテンガロンハットや草履の観光客を見ると、何だか別世界でショックが大きい。黒四ダムの大きさにも感激した筈なのだが、何だか上の空だった。
 日差しのきついベンチで、オーバーに雪をはたき落して、ズボン以外の着替えや荷物整理をしていると、観光客にいろいろ聞かれる。「どこでスキー滑ったんですか?」と聞かれて見上げると、ここから見るとものすごく上の方に東一の越が見える。そこを指さして「あそこから滑って来た」と言うと、みんな驚嘆する。ますます良い気分。
 1台待って12:03のトロリーバスに乗った。登山者3名が後からゆっくり降りてきて、同じバスになった。黒四発電所の見学帰りとおぼしきインテリ数名もいた。トロリーバスは同じ時刻に3台出た。我々数名は、帰りだけ乗車だが、観光客はまさか往きにいなかった客が乗って来るとは思っていないから、さっきより席が埋まってると不審な顔。大阪弁の気障野郎が、明らかに周りを意識してしょうもないギャグを飛ばしているのが神経に触る、苛々。曰く「電気は原価やからなあ」とか、もう実に下らん。もう〜、煩いなあ〜っ、と思っていたら、見学組の男が「dumb!」と一言、この洒落の方がよほど面白い、座布団1枚!
 扇沢でものんびりして、食堂で弁当とパンをたくさん食べて、ズボンも履き替えて、14時のバスで大町へ。大町から快速に乗るが、10分遅れてしまったので臨時アルプスを逃す。アルプス9号の増結車にうまく並んで、座って帰った。Y先生は八王子下車、N先輩と今回の山スキーの思い出を語りつつ新宿へ。足掛5日間の山行も無事終わった。あまりの好天(しかも前半は無防備)だったので、顔はもうぼろぼろに剥け、半分赤剥け状態、悲惨。今回の経験で、山スキーにひどく自信が付いた。