◆ブラウザの「戻る」で戻って下さい。



1970.07 初めての月山は五里霧中の梅雨スキー
日程:1970.7.4(土)〜7(火)
参加者:NABE、O野、I藤、N井

1970.7.4(土)
 台風が来ているが、山形は快晴。出版関係の仕事で出発を1日遅らせたが、何だか気が急いてしまう。4人で行くが、I・N両先輩は先に行っている。同級生のO君と2人で夜行列車で上野を出る。大阪万博帰りの団体がうるさく、一向に寝る気配がない。
1970.7.5(日)
 05:40山形に着く。列車では殆ど眠れなかった。駅前でうろうろして、バス乗り場にスキーを置いて、蕎麦を食べ、ミルクを飲む。漫画を立ち読みしつつバスを待つ。駅に降りた時はスキー客は10人程度だったが、バスには結構いて、バスの後部にはスキーが山積みになった。
 06:50発、鶴岡行き。うとうとして目覚めたら、山形は晴だったのに、山はすっかり雲の中。志津で9時ごろバスを降り、そこから会員制形式(実は定期バスだが免許の関係だろう)の登山バスで約30分、姥沢まで行かずほてい屋・つた屋の前あたりで降ろされた。風が強く天気は悪い。姥沢小屋へ。部屋は屋根裏形式で、注意していないとすぐ頭を天井にぶつける。頭にコブを作りながら昼寝していたら、I氏が滑って降りてきた。3人でお昼を食べて出たら、リフトの前でN氏に会う。ガスの中で迷ってずぶ濡れで酷い目に遭った様子。
 O君と出かける。リフトは姥沢を出て支柱2〜3本目(全部で19本)で既にガスの中で、周りは全然見えない。上へ着いてもどこに雪があるのかさえ分からない。こっちは初めてなんだ。ともかく闇雲に上へ上へと行ってみた。1回雪が現われ、2回目の雪渓の上縁に沿って登った。適当なところでスキーを履いて、適当に下へ滑る。いったいどんな地形でどっちへ滑っているか分からないが、シュプールがあるんだから行けるだろう。しかし行けども行けどもきりがない。少し焦って、右方向へ行く(何となくそんな気がしたのだが、根拠不明。ずっと後になってからも、天元台から下る時に「右旋性」で迷ったことがある。小生の癖かもしれない)。雪面は真っ黒だが、スキー自体は快調。スキーが上手になったような錯覚。
 しばし下るうち、岩があったと思ったら急に雪が無くなった。ガスを通して下にも白いものが見えるし、あっちでリフトの音がする(ような気がする)。あとで地図を見たら、こっちが姥沢の本流だから、シュプールがたくさんあって当然。しかしこの薮は越えるのは無理。諦めてスキーを脱いで登り返す。雪が急速に減っているから、シュプールがあっても雪が続いている保証は無い。途中でキーヤーが1人で降りて行った。我々と同じ罠に填ったと思っていたが、そのうち何人も降りて行く。おかしいなと思って聞いてみたら、こっちで正しいという。スキーを履いて付いて行ったら、途中で草の上を数メートル歩くところがあった。これじゃ知らない者には分からないが、何となく右へ行こうとしたのは正しかった訳だ。スキーの巧い人の姿を見失わないように、かなりのスピードで五里霧中に滑っていたら、急にガスが晴れた。そうしたら、何と、ちょっと怖いぐらいの急斜面。ガスで見えない内は急斜面をあまり感じなかったが、下界が見えると高度感がすごい。途中さらに薮漕ぎ1箇所を経て、最後の雪渓へ出た。
 もう15時なので、今日はそろそろスキーはやめようかなあ、と思ったら、リフトも止まった。姥沢小屋はけっこう混んでる。ストーブが逆流して煙たい。ビールを飲んだ。

1970.7.6(月)曇・雨
 今日は歩いて登った。リフト沿いに歩く人もいるが、雪がどんな状態なのか見たいから、滑る所を登った。途中からガスで、息苦しいほどの強風で、雨も降ってきた。岩の出ている箇所から少し登った所あたりで止まって雨具を着るが、ちょっと遅れて既にずぶ濡れ。昨日より雪の面積がずっと減っている。ガスが晴れて下が見えると急斜面であることが分かり、まるでサーカスみたいなスリルである。下界に全く雪がなく、それこそ足元だけに雪がある状態だから尚更。転倒・滑落したらストンと薮に突っ込む、というか、落ちる。O君は穴ぼこに落ちたり転んだりしている。一昨日は晴れていたそうだ、良かっただろうなあ、悔しいなあ、でも東京で仕事があったのだから仕方がない。
 昼ごろ下ってきて、そのままスキーはやめてしまった。途中まで登ってもう1回滑った方がよかったとちょっと心残り。名残り惜しいが、15:50のバスに乗る。ガスが降りてきて真っ白な世界だが、周囲の景色がどうみてもスキー的ではないところが良い。幸せな気分。当時はまだ山スキー駆出しの頃だから、夏にスキーをしているというだけで妙に嬉しかったものだ。
 姥沢小屋にいた連中は大半が朝の内に帰ったようで、同じバスで出たのは5組だけ。当時はピンクとえんじ色の山形交通の「電車」がまだ走っていたので、O君と(I氏・N氏は1日先に帰っていた)間沢から電車に乗換え、羽前高松で国鉄・左沢線に乗り換え、1日1本だけのC12(SL)牽引の列車に驚いて(我々は乗らなかったらしい)、山形へ出た。山形で焼肉(安い)など食べて城址など散歩、なかなか良いところだが人が少なかった。22:14の夜行・出羽で帰る。団体がどうとかでよく分からない案内に惑わされて、他の客はみんな増結車輌へ行ったが、我々2人は構わず前の車輌に並んでいたら、2人で1ボックス占領できて、楽に寝て帰った(楽てったってアップライトの背ずりだけど)。ビールをたくさん飲んで寝てしまったらしく、米沢(どう聞いても「よにざわ」だ)から大宮まで記憶が無い。O君は赤羽で降りて、まだ他にスキー1組を乗せて上野へ。早朝でまだ人が少ないが、もっと人の多い時間帯に誇らしげにスキーを見せびらかして歩きたかったというのが本音。当時は夏にスキーをする人は珍しかった。帰宅後、07:30に寝て、妙にリアルな夢を見て目が覚めたら、まだ30分しか寝ていなかった。夜行は疲れる。