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1970秋の連休・立山初滑り
日時:1970(昭和45)年11月20日(金)〜23日(月)
参加者:NABE、Y本、N井、O野、E嬢、S嬢、Y嬢ほか?

11月20日(金)嵐→曇
 上野からいつもの21:28発・北陸2号で富山へ出発、今度はN先輩が現われず、N先輩が連れてきたE嬢は別の車輌で、切符はN先輩が持ったままでまだ来ないと不安がってたが、無事大宮から乗車した。おなじベイの客、女性3人連れは全く寝る気がない様子。あまり眠れず、そのため清水トンネルで前補機が付くのを知った。

11月21日(土)快晴
 5時ごろ目覚めてO君を起こし、顔を洗って05:38富山着。これから夜が明けるところ。いつもの駅前食堂は6時半から営業で、地鉄は06:04にあるから、飯も食わず超満員の電車に乗る。こんなに多くの人が立山へ立山へと行って大丈夫かな。千寿ヶ原(このころ「立山」に改称した筈)では長蛇の列。団体客がどんどん来るようになった。さんざん待ってやっとバスに乗れて、立山荘に着いたのは昼前。天気はやたら良い。
 御昼を立山荘で食べて、バス停下の小さな斜面でぬめぬめと滑ってバスを待つ。14時すぎ、やっとバスに乗れた。とにかく次から次へと団体客のバスが上がって来るんだ。立山荘は今日はまだ込んでいなかった。
 天狗までバス。ここからあまり寄り道せず下った。美松のゲレンデは、雪の表面1pほどが完全な氷。まるで水を撒いて凍らせたようだ。がりがり滑って小生は何とか転ばなかったが、女性2名は転倒し、ず〜っと下の谷の方まで滑ってから止まった。薮のコースは滑りにくかったので、道へ出て歩く。立山荘へ帰着したらもう暗かった。
 今回は女性がいたから食べ物がいろいろあって豊かな夜だった。同室の前田建設の男(1人)が酔っててうるさい。

11月22日(日)快晴→曇
 朝のバスで天狗へ向かう。そこからは徒歩で、室堂へ。ここでパンなど食べているうちに、結局昼食になった。室堂小屋周辺はゼッケンを付けたスキー団体ばかり。アルペンルートがこの夏から開通したから、半分出来た室堂ホテルのトンネルから人が次々と出てくる。
 東一の越方面は雪が少ないとの噂。浄土と国見の鞍部の、日本離れしたスケールの雪原を、女性2名(E嬢・S嬢)の尻を叩くように登る。北アルプスがよく見える、絶景。しかし下山中からガス。
 今回はシールなるものを持って来たので、装着して少し歩いてみた。踵が上がらないスキー締具では歩きにくい。
 天狗から下山する際に、まずギャップを越えるのだが、真っ白でよく見えず盲スキー状態。Y先生が尻餅を付いたと思ったら、急に「ばたん」とショック、顔から突っ込んでしまった。凍った雪に突っ込んだから、顔中血だらけで、口の中と鼻から血がどくどく出る。スキーは片足が外れていたから、かなりひどい転びかたをしたものだ(山でスキーが外れるような転倒は以後ほとんどしていない)。みんなのところへ辿り付いたら、びっくりされた。何とかしぶとく滑って宿へ帰着。風呂には入らず、スクランブルゲーム(内容は忘れたが、多分アルファベットを書いた駒を順にくっつけて行って英単語を作るゲーム)に興じた。

11月23日(月)
 雪だ。11月の連休の後は立山は完全に冬山の世界に入る。ぎりぎり天気が持ったわけだ。11月に美女平まで滑降できることはあまりないそうだが、今日はチャンス。宿を出て、バス道路を延々10km、美女平まで滑ろう。
 しかしもっと早朝に出発すべきであった。途中でバスが登ってくるし、ついに除雪のブルドーザまで上がって来る。その度に道路を渡ったりショートカットしたり、バスに追い散らされたり。ブルの通った後は砂利と雪の混合物の上を滑ることになってしまった。途中でだいぶ降雪したが、美女平へ着く頃には晴れ間が出てきた。Yさんという女性がどぶに填って捻挫。上がってくる空のバスを止めて乗せてもらい、折り返して乗って降りてもらうことにした。結局、彼女の乗ったバスに追い越された。
 美女平で昼を食べ、14:10のケーブルカーに飛び乗り、連絡している地鉄(14:34)に乗る。その後どうやって帰るか富山寸前まで意見が纏まらず、結局立山3号に乗って米原回りで帰ることになった。ただしY先生の連れの女性2名は仙台から来ているので、予定通り22時の夜行で帰った。
 すぐホームに入り、50分待って座れた。しかし超満員。我々は、英単語を作るという、ちょっとインテリなゲームに興じていたが、その様子は周囲の客の気に障ったようだ。子連れの若い母親が立っていたが、さきほどから我々のことを苦々しそうに見ていたおっさんに「この人重たいのに代ってやらないのか」と叱責された。気の優しいO君はさっきから周りの視線を気にして(居眠りしようよとして)いたが、といって通路がわは小生、といって50分待って座ったのに立つのも癪、といって放っておけない。ちょっと詰めて(こっちも多分5人掛けしてた筈だが)、手摺に腰を掛けて下さいという仕種で許してもらおう。立ってるお母さんも、もう少し要領よく子供の世話をすれば良いんだけどなあ。でももうじき米原だから、ま、いいか。
 超満員で大荷物でスキーもある。米原でどううやって降りようかと思っていたら、幸運にも我々が座っていた側がホーム。窓から降りて荷物を降ろす。列車は遅れていたから走って走って、最終こだまに間に合った。浜松か静岡でやっと座れた。
 なお、翌々25日には三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決した。