月山・今年も梅雨スキー
日程:1971(昭和46).6.4(金)夜行〜6(日)
参加者:NABE、Y本、O西
コース:上野(夜行)/5:→bus→姥沢→姥ヶ岳→姥沢(泊)/6:→姥ヶ岳→姥沢→山形→仙台→上野
1971.6.4(金)曇→雨・蒸暑
今年も梅雨時の月山へ行く。出来たら羽黒山方面へ下りたい。しかし著名デザイナー・剣持勇氏が自殺し、御子息がやってる設計事務所員(多分O野君)が来られなくなって、メンバーは3名に減ってしまった。
往きは夜行で山形へ、帰りは仙台回りで帰る。こういう一筆書きの場合は「連続切符」という方式があって、通しの片道運賃になるから若干安くあがる。水道橋でこの切符を買おうとしたら、何と駅員がやりかた分からず、25分もかかってしまった。22:04の総武線にやっと乗れたが、もう予定の列車(22:20つがる2号)には間に合わない。駅員は責任を取るべきである。どうやって怒ったか覚えていないが、とにかく急いだ。結果として、発車が3〜4分遅れたおかげで、間に合った。全くの幸運。しかしY先生が乗り遅れて、O君と2人だけでロザ(当時は寝台車の代わりにグリーン車をよく利用した)。Y先生は23:08の出羽で追って来る形になった。東北新幹線の開通前は、あまり時間が違わない夜行が複数走っていた訳だ。焦って走ったから脂汗状態で何とか席へ。
隣席は札幌まで行く結構美人の若い女性で、ドイツ語の歌詞にカタカナで読み仮名が振ってある楽譜を見ていたから、合唱に出演するための移動と見た。ついに言葉を交わすことはなかったが、何となく無理に体を離そうとしない様子なので、あまり眠れないまま寝たふり。うとうとしていたら脚に何か触れるので、探ってみたら彼女の手に触れた。当時ウブな青年だった小生には、手を握る勇気はさすがに無かったが、ドキドキしながら手を触れたままにすると、彼女も明らかに狸寝入りで寝息を立てる。あとでO君に「すいぶん隣の女性と距離が近かったですね」と言われた。何か人生の大きなチャンスを逸したのかもしれない(笑)。
1971.6.5(土)曇
山形05:10着、月山行き始発バスの列の先頭にスキーを置いて、胡瓜をかじってY先生を待つ。34分遅れで着いたY先生と合流し、朝食に蕎麦を食い、バスを待つ。そういうわけであまり眠れなかったので、バスではさすがに眠った。途中で乗り換えたかもしれないが、記録・記憶なし。姥沢で下車。今日の宿「山のつた屋」は沢の向こう側のかなり低い所にあるので、尻セードで雪面を下る。小屋番は感じの良い爺さんだったが、2段ベッドの部屋の居住性は最悪だった。キャンセル料なしで、4人部屋を3人で使った。
荷物を置いたら身支度し、10時すぎに宿を出て、リフトが運休なので(例年梅雨時に、リフトを上段から下段に切り換え工事があるが、今回は工事ではなく、強風が運休の理由だったようだ)、ガスの中を1時間ほど登った。雪は全部つながっている。姥ヶ岳のゲレンデ(って訳でもないが、広い斜面)あたりから1本だけ滑った。下はガスが晴れているので、姥沢で昼食のパンを食べた。
しかしガスの中では楽しくないから、宿へ帰って昼寝。3時すぎにせめてもう1本滑ろうと、出た。少しガスも上がって(雲の底が高くなって)きたから、姥ヶ岳に登った。月山山頂は依然として雲の中。頂上の右手の大きなすり鉢状の地形のスケールが良い。しかし、途中(4時ごろ)からリフトが動き出したではないか。急いで1本滑ったが、間に合わなかった。しかし、この広大な斜面を自在に滑る豪快さは、言い表しようがないほど快適。17時ごろ、今日のスキーはおしまい。
1971.6.6(日)曇→晴
もし天候が許せば羽黒山側へ下ろうと、荷物を全部背負って、8時すぎに出た。姥ヶ岳の右へ回り込んだつもりが、ガスの中で方向を失って、頂上へ出てしまった。ちょっと頂上方面の道を探して見るものの、あまりにガスが濃くてよく分からない。O君も「本当に行くんですか、やめましょうよ、やめましょうよ」と、かな〜りびびっている。頂上へ行くことすら、このガスでは無理そう。今日は諦めた方が賢明だろう。
仕方なく下って、荷物を預け、またリフトに40分も並んで(だから山を越えたかったのだ)、蒟蒻を食べて、姥ヶ岳に30分歩いて登って(少なくとも山登りをしている間はリフト待ちから解放される)、1本滑った。雪質はよく締っていて、最高の滑り心地。一望千里ってほどではないが、大斜面は斜度もあってかなりスピードが出る。しかしこの素晴らしくスキー向けの雪質では怖さは全く無い。しかし2本滑ったらくたくたに疲れた。
室外のテーブルで、今日の行動食のパンを食べた。帰りのバスは13:30発。脚が相当疲れていた所為か、このバスでもかなり寝た。下界へ下るにつれ晴れて来て、月山の山容の全体像が見えるが、頂上あたりは相変わらず雲の中(ということにしよう)。
16:20過ぎに山形着、16:40仙山3号で仙台へ18:12、18:30ひばり7号に乗り換えるが(列車の号数が、下り奇数・登り偶数にまだなっていなかった)、かなり混んでいる。発車と同時に食堂車へ、しかし思いは同じで満席。1時間あまり粘って(どうせ立つのだからどこで立っても同じだから待った)から食堂車デッキに立ち、また並んで、食堂車で座ることだけを目的にさんざん粘っている奴等をどかせて(どうやったか覚えていないが、何度催促してもどかない客に諦めている従業員を励ましたと思う)、1時間弱、ビールとウィスキーで時間潰しをした。仙台・日本食堂の乗務員は実によく働く。特に77番の札を付けた娘はてきぱきよく働いて印象が良かった、と日記に書いてある。
22:28上野着、水道橋でO君が入鋏前のグリーン券を払い戻そうとして、駅員に「指定券を見せろ」と言われて返答に詰った、と日記にあるが、往きに検札が無かったのでインチキして儲けようとしたのだろうか(笑)。御茶ノ水で再挑戦すると言う彼と別れ、23:06のバスで白山下の下宿へ。
今回の月山日記は、スキー記録というより昔日の青春日記のようだ(恐縮)。スキーにワックスを塗る際にアイロンを掛けすぎた所為だと思うが、愛用のヤマハ・ハイフレックス(195cm)の左右のベンドが違ってきた。原因を黙ってスポーツ店に見せたら、不思議ですねえと言いつつ直してくれることになった。帰京の翌日、スキーを担いで自転車で、本郷のオリエントスポーツへオーバーホールに出しに行った。