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菅平別荘から根子岳・かりかりクラスト
日程:1972(昭和47)年2月11日(金)〜13日(日)
参加者:NABE、Y本、Hら
コース:上野→上田→別荘地→I別荘(泊)/12:→菅平スキー場→根子岳→スキー場→別荘(泊)/13:→スキー場→上田→上野

1972.2.11(金・休)
 菅平に友人の親戚の別荘を設計した。建築家としての小生の処女作である。八角形の変なプランの2階建で、はね上げ式のヴェランダ兼用雨戸がある「可動建築」で、我ながら最初の実作としてはうまく出来たと思うが、実際の設計管理は、Hら先輩の助力が大であった。現地のM島組という工務店も、構法について何も知らない「東京の設計士さん」を相手に、よくやってくれたものだ。
 その別荘を拠点に、当時の遊び仲間と何度かスキーに行った。若い男女数名で自炊生活をして遊ぶには、別荘生活は良いものだ(時計を取上げて時間をいっさい意識しない生活をしたら、起きて朝飯を食ってゲレンデへ行ったらもう夕方でリフトが止まった、などと言う「楽しい」経験もした)が、菅平スキー場はあまりに標高差が少なく、リフト1本分しか無い。大滑降を趣味として以来は、これではあまりに物足りない。当然ながら興味は山へ。
 菅平と言えば根子岳か四阿山(2332m)だが、地形からすれば根子岳を狙うのが自然。当時は根子岳ヘリスキーはまだ無かった(あったりまえだ)
 さて、この春もこの別荘スキーを2回企画した。2月連休は山スキーバージョンで行こう。昼ごろ上野を出発、あさま2号で上田へ。別荘生活に具えて上田のスーパーで食糧(と、多分石油も)を購入し、タクシーで菅平別荘地(≒1320m)へ。ここへは現場監理以来何度も来ているが、運転手が小生を覚えていた(いつの事だろう、ちょっと冷汗だったりして)

1972.2.12(土)快晴→晴
 別荘地からは、車道を歩いたりスケーティングで滑ったりして、30〜40分でスキー場へ。右の方のリフトから、さっそく根子岳へ登る。シールを効かせながら、と言いたいが、かりかりに凍っていて吹きさらし。シールが効いているのか効いていないのか分からないような状態。途中で弁当を食べる時間を含んで3時間程度で山頂(≒2205m、地図には標高の標記なし)に着いた。素晴らしい眺望である。四阿山へ続く狭い稜線には、新しいシールの踏み跡がある。いずれ行ってみたい。
 下りは、かりかりに凍っている斜面で、全くコントロールが効かず、もう泣き出したくなるほどのスキー。からからと無抵抗に滑落し、ちょっとだけ露出した低い落葉松の周りの新雪吹き溜まりで辛うじて直角に曲がる、といった、ひどいスキー。大した斜度じゃないのに、なかなか高度が下がらないもどかしさ。ひどく苦労して、何とか50分ぐらいかけてゲレンデへ下った、と記憶する。
 「ゲレンデであき子さんを発見」と日記にあるが、誰のことだか今となっては全〜んぜん記憶なし(笑)。夜は豪勢にステーキを焼いて食べた。ステーキはレアですよ、などと強がりを言って、レアというよりブルー状態で食卓に出したら、Hら先輩は「生じゃないか」と怒って焼き直した。よく焼いた方がたしかに美味しかった。

1972.2.13(日)強風・雪
 ゆっくり撤収して、昼ごろ別荘を出て、スキー場へ向かう。しかし風が強くてリフトは休止、すごく寒い。だからもうゲレンデは良いから、帰ろう。15時のバスで上田へ。連休最終日で、妙高3(?)号16:50も遅れて来た。目茶苦茶込んだデッキに何とか乗込んで帰った。今回は、ついにゲレンデでは殆ど滑らなかったという、妙な満足感。

●費用:電車賃以外、3人合計約10000円。そりゃそうだよね、別荘だから。