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寺子屋ゲレンデから岩菅山登頂、ついでに焼額越え
日程:1972(昭和47)年3月29日(水)
参加者:NABE、Y本、F尾、Tら
コース:宿(アルペンローゼ)→(スキー・リフト)→寺小屋→岩菅山登頂→(滑降)→道路へ→(タクシー)→奥志賀→(滑降)→一ノ瀬→寺小屋→(滑降:東館林間コース)→ブナ平・ジャイアント経由で帰投。

1972.3.28(火)晴
 U研究室の志賀高原スキーに遅れて参加し、ツアー主体で、最後は山越えで帰ろうという計画である。
 珍しく早起きしてタクシーで水道橋へ、07:51上野発「あさま」で、先輩O氏・後輩O君と3人(かなりアル中的メンバー)で長野へ向かう。先輩に先に並んでもらって席を取らせてしまったおかげで座れた。車内では朝っぱらから酒盛り。長野で酒を買い足して、長野電鉄車内でも飲み、湯田中で更に酒(日本酒1升、オールド2本)を買う。
 志賀高原の宿は、U研の定宿、もとS友家別荘、現S工務店の保養所「アルペンローゼ」。相変わらず愛想のない(けど善人の)管理人・Kさんに迎えられ、部屋へ。ゆっくり出て、蓮池で昼食。ロープウェイと観光リフトで高天ヶ原へ。他の連中は寺子屋へ行った模様。U先生は最近は寺子屋ゲレンデがお気に入りの様子、確かに斜面も良いしスキーだけで行って来られるし、比較的空いている。
 高天ヶ原は混んでいるから1本だけでやめて、東館コースへ行ったら他の連中に追い付いた。ゲレンデに島津貴子(清宮妃殿下)そっくりの女性がいて、果敢にも話し掛けた者(後輩K君に決まってるけど)がいたが、本物かどうか最後まで判明せず。ブナ平山荘で休み、またビールを飲んで、一杯機嫌で下って更に丸池で2〜3本滑る。夕食後、ありったけのアルコールを飲み干した。

1972.3.29(水)快晴→晴
 研究室全員で奥志賀へ行くとか言ってたが、今朝着いたY本先生と、後輩のF君・T君と4人で、寺子屋から尾根伝いに岩菅山に登る事になった。
 ジャイアントを下ってリフト・ロープウェイで東館、寺小屋リフトを上がった所がスタート。すぐ左の急斜面を、ほぼ水平に滑ったり登ったりしてから、スキーを脱いで崚線に出る。あとは歩いたり滑ったりの連続。雪庇の下は危ないと思って崚線上を歩くが、凹凸があり、薮も密生していて、ずっと苦労して歩いていた。しかし、いったん雪庇の下に出てみると、滑らかな斜面で雪も腐っていて、快調そのもの。一度滑るとこんな楽な滑降は無い。雪庇に注意しながらその下を潜るように滑る。5回ぐらい昇降を繰り返し、最後は40度近い斜面、と思ったら、何と雪上車のわだちがある!。そこから先は約30分、割合楽な登りで岩菅山頂へ。しかしここにも幅広い雪上車の跡があって、何だか興が削がれる。向うに見える裏岩菅の方が30mほど標高が高い。あっちの山頂には3人の登山者の姿が見える。声を掛けたら答えが返ってきた。登りに要した時間は寺子屋リフト上から2時間40分。
 山頂で弁当を食べ、14時前に滑降開始。まず肩まで下って、そこから広い尾根を滑るが、自然に地形に導かれるようなコース。南斜面とはちがって雪がじゅうぶん腐っていないから滑りにくい。何だかやたら転倒し、小生は遅れがち。だいぶ下ったあたりの沢の中でやっと適度に腐った雪があって快調に滑った。
 約70分、結構コクのある滑降の後、奥志賀道路のカーブに突然出た。しかしこのあたりにバス停は無い。どうしようか思案していたら、トラックが2台通ったあと、左(蓮池方面)から空車のタクシーが来た。奥志賀まで行くかと聞いたらOK、何たる良いタイミング。奥志賀からは焼額越えで帰れば良い。
 奥志賀のロッジでミルクを飲んで、リフトで上がると、U先生が2人の息子さんをつれているのに遭う。もう山越えで帰るのはしんどいと言っていた若者2名の気が変わって、スキーで帰ることにした。U先生親子に別れを告げ、曇空の下を快調に飛ばした。このコースもだいぶ滑る人が増えて、シュプールが多い。途中で10人以上抜いた。さっきまでしんどいと言ってた若者2人は、どんどん先へ飛ばす。いくらシュプールが多いと言っても、ここはゲレンデではない。怪我しても自力で帰る必要があるんだからあまり先に行かないようにと注意しても、連中は言う事を聞かない。
 無事滑降を終え、ちょっと登り返すと(当時はまだ連絡リフトなし)、一ノ瀬ダイヤモンドのゲレンデ。一瞬で下って一ノ瀬のリフトに2回乗り、寺子屋に戻ったのは16:30ちょうどで、我々が下車したらリフトが止まった。
 そこから東館へ向かう林間コースがこれまた快調、ブナ平まで9分で滑った。途中で研究室の仲間に合流。ブナ平では20人近い団体で1列で滑ったりして楽しんでから、ジャイアントのリフトが間に合わないかと心配だったがまだ長い方のリフトが動いているのに間に合って、クタクタになりながらリフトに乗り込んだ。
 夜は酒が切れて、仕方がないからスキーの手入れ。玄関に置いてある道具を勝手に使っていたら、管理人のKさんにものすごい剣幕で叱られた。勝手に使ったこっちもいけないが、常連の連中はいつもそうしているのだから、あれは怒りすぎ(しかし後年、小生もKさんに常連として「認識された」ようで、とても親しくしていただくようになった)。この晩は、初参加のM嬢(研究室秘書N嬢の友人)をさかんにアタックしていたようだが、記憶が無い(ことにしておこう)。

1972.3.30(木)曇→雨
 山田温泉までツアーをして帰る予定で、朝はみんなと同時に別のバスに乗って出て、長野か須坂で会うつもり。
 しかし今日は雨である。宿を出てから、蓮池のバス乗り場で中止を決めた。だから荷物を背負ったままである。みんなと一緒にバスで一ノ瀬へ向かい、雨具上下の完全装備で雨の中を寺子屋ゲレンデへ。白い雪面は引っ掛かり、黒い箇所は滑る、という妙な雪質は極めて滑りにくい。
 当時は2mのスキー(ヤマハ・ハイフレックス)に、ワイヤ式のジルブレッタを踵があがる状態にしておいて、ステップイン式締具(サルヴァガード)のヒールだけを付けたオリジナル金具を使っていた。ステップインのレバーを切り取ってあり、ストックで押してヒールピースを下げると踵固定になる、という、歩行・滑降の切り換えがワンタッチの便利な締具だったが、捩れて転倒すると全くセーフティーが効かないという危険な代物。絶対に転ばないという自信に裏付けられた締具、なんちゃって、である。
 しかし今日の雪質はひどく、案の定、転倒してしまい、左足首をかなりひどく捻挫した。騙し騙しボーゲンで下る。しばし様子を見たが大したことはない模様なので、もう1本滑って休憩。雨具完全装備の小生以外は全員ずぶ濡れである。さらに1本滑って荷物を背負って下山。林間コースでは気にかけていたM嬢を何度か待っていっしょに下り、ブナ平では全員揃って滑るが、足首をかばってギャップで派手に跳ねるのは遠慮。絞ったら水が垂れそうなべたべたの雪の滑降を終えた。
 雨はすっかり本降りになった。だれよりも早く荷物の整理を終え、40分間ビールを飲んで過ごす。14時半、タクシーで下山。途中からガス。湯田中で35分待って、15:30の電車。長野ではもたもたした後、16:32発臨時大宮行き。大宮までだから急行券を100円払い戻してくれる証明を貰う(大宮を過ぎると200kmを越える)。空いていたから全員固まって座り、軽井沢ゴルフ弁当の大袈裟な(蓋をしたままではごみ箱に入らないサイズは駅弁として失格)プラスチック容器に怒って、酒(副無量とウィスキーポケット瓶)を少々。大宮からの国電ではM嬢をしっかりマークして電話番号を聞き出すなど、当時は頑張ったもんだ。東京では春一番だか二番だかの嵐、ツアーを強行しないでよかった。