八幡平・負傷者救出大作戦
日程:1972(昭和47)年4月14日(金)〜18日(火)
参加者:NABE、Y本、F尾、O野、N島
コース:上野→(夜行)→盛岡→御在所温泉→大黒森→藤七温泉(2泊)→畚岳→大沼→花輪(接骨医)→盛岡→(夜行)→上野
1972.4.14(金)
裏岩手縦走の大ツアーを企画した。八幡平山頂から藤七温泉へ下って1泊、翌日は8時間以上の覚悟で網張スキー場か松川温泉へ下ろうという計画。しかし結果としてF君が足首を骨折したので、その救出という別の大目標が出来てしまった。
さて出発。上野22:05発の夜行「北星」で盛岡へ向かう。寝台車が涼しくてよく眠れた。
1972.4.15(土)晴→曇
良い天気だが、下り坂の模様。盛岡に着いて、バスで御在所温泉まで行った。松尾鉱山はまさに「廃鉱」の雰囲気。バスに乗ると、何とリフト券を1枚くれた。網張スキー場が出来て盛岡の客を取られた対策であろうか。
10:15大黒森リフト上出発、11:30茶臼岳(〜11:45頂上往復)、12:10茶臼小屋出発。八幡平頂上へ着いた頃はすでに強風で、心身ともにしんどい。途中の登りでY先生の帽子が飛んだ。踵の上がる締具(72.3岩菅山参照)の小生が走って取りに行ったら、踵の上がらない締具のシール登高で太ももがツりそうになっていたN島君が、呆れ驚く。F君はシールが故障。
目の下に見える藤七温泉まではひと滑り。八幡平頂上ターミナルまで道路は除雪済みだった。13:55藤七温泉着、今日はここに泊る。
1972.4.16(日)雨
雨で藤七温泉滞在。時々ガスが薄くなる。午後、一度晴れたがまたガス。これじゃつまらないから、小屋の近所でちょっと滑って遊ぶ。雪はたっぷり水を含んで重い。F君は小屋のスコップで小さな台を作ってゲレンデシュプルングなどをやって遊んでいるが、山の中でこういう(あまり安全じゃない)行為をするのは、ちょっと好まない。案の定、O野君が前につんのめって転んだ。それを潮時に、ゲレシュプはやめた。
最後にちょっと長目に斜面を登って1本滑ろうと言う事になった。重い雪で、F君が転んだ。長くて固いスキーのF君にはこの雪は苦手だろうと思ったが、なかなか降りて来ない。かなりひどい捻挫らしい。明日は晴天の見込だが、これでは長大なツアーには行けない。それより、片足が使い物にならないF君をどうやって運びだすかが問題。
宿の飯は上々で、これで1泊2食1500円とは驚く。
1972.4.17(月)快晴→曇
あまりの晴天に、F君の湿布を替えてから、小生の提案で朝6時前に出て畚岳まで往復した。雨上がりの快晴で、雪面はかりかり。頂上からの見晴らしは最高。一瞬の滑降だが、スキーは快調だった。
F君の足首は段ボールで作った添え木で固定した。とにかく八幡平頂上まで運び上げねばならないから、シールを輪にした背負い紐を使っておんぶすることにした。背負い紐があっても結局手が使えず、シールで登ると姿勢が不安定。と言ってツボ足ではモモまで潜る。苦労して300歩ずつ交替で登るが、かなり辛い。交替の際に堪り兼ねて雪の上にどさっとF君を投げ落とすが、間違って痛い方が下になると悲鳴が上がる。2時間かけて、汗だくで頂上まで辿りついた。
八幡平頂上まで道路が開いていても、交通手段が無い。電話も無い(藤七温泉からタクシーを呼んでおくという手が有った筈で、当然それも考えた筈だが、何故そうしなかったのだろうか、でも詳細は記録・記憶なし)。昨日会ったおばさん組はたまたま来た自家用車で下って行った(何故怪我人だけ乗せて貰わなかったか、記憶なし)が、我々は自力で帰る必要がある。八幡平頂上は距離的には横断コースのちょうど中間地点だから、戻るよりは緩い下りだけの八幡平横断コースを踏破する方が近い。
F君の片足にスキーを履かせ、Y先生と両側から肩を組んでシール歩行する。幸いこのコースは殆どが緩斜面である。5人分の荷物を初心者に近い2人が前後にかついで、余ったスキー1本まで担いでいる。こういう経験をすると自信が付く。急斜面ではFくんには尻滑りで降りてもらい、荷物は小生とY先生がいっぱい背負って下る。蒸の湯から多分リフトで大沼へ下り、ここでタクシーを呼んだようだが、このあたり記録がない(日記もあとで書いているから、実に簡単なものしかない)。長大な裏岩手大縦走ツアーは出来なかったが、今回のツアーは別の意味で大きな満足感があった。怪我をしたF君は気の毒だったが、彼を山から無事救出したことは、我々の山スキー歴には誇りとして残る。
タクシーで花輪の接骨医へ行くが、捻挫と診断されたように記憶する。列車で盛岡へ出て、せっかく来たからと、F君は片足でけんけんしながら、わんこ蕎麦屋へ。食べた数だけ塗りの容器をつぎつぎ積み上げて行く筈なのが、マッチ棒で数えろと来た、がっかり。小生は40杯ほど食べたが、怪我人F君は18杯でギブアップ。もう食べられないという限界は、満腹もさることながら、要するに味が単調で我慢できなくなるから。最初に出るおつまみ(鮪の切り身…etc.)を大事に一口ずつ嘗めるように食べて行くのがコツだが、気付くのが遅かった。おつまみだけ追加で下さいと言ったら、料金は2人前、何杯食べたかの「スコア」もクリアされる、だとさ。
盛岡21:55発「ゆうづる」の寝台が取れたが、暖房が暑くて暑くて「煮えた」と日記にある。
1972.4.18(火)
朝、上野着。駅にF君の家族が迎えに来ていたが、何だか無視されたような状況に一同憮然。普通は「息子がご迷惑を」とか「ありがとうございました」とかオーバーに言うもんだけどね〜。
F君はK坂病院に行ったらやはり骨折だったそうで、即入院となった。あとで見舞に行った。
●メモ:
藤七温泉:1泊2食で1500円
ゆうづる特急・2等寝台中段(盛岡→上野):2100円