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万座から本白根・シャンピアへ、浅間山は大爆発
日程:1973(昭和48)年2月16日(金)
参加者:NABE、Y本
コース:万座第2ゲレンデ→本白根→シャンピア

1973.2.15(木)晴
 R大への就職が決まり、T大U研究室での最後の春、研究室(+A建築研究所)のスキー合宿で万座へ行くことになった。宿は吾妻硫黄鉱山の跡に出来た「万座シャンピア」(西武系)なので、万座スキー場からは本白根経由で下って来られそうである。
 朝5時過ぎ、後輩K君が車で迎えに来てくれた。関越自動車道から17号に入って、高崎のあたりで河原に車を入れて、2人とも2時間ばかり仮眠した。なにしろ昨日も遅かったから。元気になって、カレーを食べて、またドライブ。良い天気で、ちょうど噴火している浅間山の噴煙も今日はおとなしそう。
 1時すぎだったか、宿(万座シャンピア)に着くと、Y先生たち列車組が待っていた形。ここは万座からだいぶ手前で交通手段が不便なのだ。みんなで車で万座スキー場へ向かう。
 無料でリフト券が貰えるのも待たず、Y先生と2人でさっそく本白根越えを敢行する。第2ゲレンデからロープウェイへ向かうが、運転していない。ここを歩いて登ったのでは遠いから、今日のツアーは断念して、ゲレンデへ戻る。
 夕方、ゲレンデから正面に見えている浅間山から、閃光とともに黒煙が上がるのが見えた。だいぶ経ってから爆発音が届いた。かなり大きな噴火である。噴煙が大きく上がり、その中には稲妻が見える。噴煙から火山礫だか灰だかがばらばら降っているのも見えた。珍しいものを見た。
 何だか疲れて、夕食後いったん寝てから、後から到着した連中も加わって十数名と賑やかになったメンバーで飲みはじめた。A建築研究所のM先輩もだいぶ酔っている。

1973.2.16(金)快晴・暖か
 さて、今日こそはツアーに行こう。午前中はゲレンデ。Y先生と小生だけは昼食の集合場所に早めに行って、みんなより先に食べて、12:30に出た。
 熊四郎ゲレンデを下り、第2ゲレンデへ。ここで多分ロープウェイ(現在はロマンスリフトが掛かっている所か?)に乗っていると思うが、記録が無い。バス道路を滑り、約40分歩いて、草津白根のスキーリフトへ。リフト頂上から少し滑って、あとはスキーを履いたまま、本白根山に登る。かなり密な林間や、御釜の崖っぷちなど、なかなか愉快でコクのあるコースだった。無論道標など皆無で、地図を頼りに太陽に向かって歩く。
 頂上からは、ひたすら下る。所々程良く腐った箇所があって、そこではスキーも曲がるが、あとはひどい雪質。ばりばりのウィンドクラストの所など、以前行った根子岳や、この前の岩菅山に似ている。米無山を左に見て、とにかく高度を下げて行くしかない。この雪にはだいぶ苦労したが、下り所要70分でシャンピアに着いたのは15:30。宿の主人にスキーで下って来たと言うと「スキーの達人ですなあ」と感心してくれた。
 更にメンバーが増えて、またまた賑やかになった。新しいログハウス系の建築なのに、妙に田舎臭く素人臭い宿で、玄関の妙なスペースで床に座って飲む。アメリカ人も加わって、盛り上がった。

1973.2.17(土)曇
 今日は天気が良くない。第2ゲレンデでガスの中を滑るが、こういうのはつまらない。A君・F君の高校の同級生のF嬢は、めったやたらスキーがうまい。夜はまたひどく酔っ払って、誰だか忘れたが女性の膝枕で寝たようだ。

1973.2.18(日)晴、雲あり→雨に
 日曜はさすがに混む。車でゲレンデへ向かうが、車を降りてから1km以上道路をスキーで滑った。第2ゲレンデでコブの斜面でしゃびしゃびの雪を適当に楽しむ。暖かいのでTシャツで滑ってみたが、転倒してシャツがびしょ濡れになったから、もうやめた。夕方、またA君と雨の中を他のメンバーより余計に滑って、春スキーを堪能した。
 帰りはF君の車で、同級生組3人といっしょに4人で帰る。途中で2回(スパゲッティと焼肉)食事したが、日曜の帰りの割にはスムーズに走った。自宅へ戻ったのは12時半。当時は桜上水のアパートだったから、来客も受け入れ可能だったが、予定外なので食糧も無し、とまでは日記にあるが、どういう状況で客人を迎えたのかあるいは3人とも泊めたのか、日記には書いてない。