日程:1973.3.3(土)〜3.4(日)
参加者:NABE、Y本、Hら、K田
コース:上野→小諸(泊)→(taxi)→高峰スキー場→水の塔→カゴの登→地蔵峠→湯の丸山→角間峠→角間山→新鹿沢→(bus)→万座鹿沢口→上野
1973.3.3(土)晴
このころ持っていた最も初期のスキーツアーの本に出ていたコース案内は、いずれも昔日の「スキー山岳部」の連中が滑っていたような古いコースで、急速に観光開発・道路建設がすすみつつあった当時は、行って見たらスキー場とか、通年除雪化とか、あるいは気候の変化で積雪が減ったりで、コース自体が消滅してしまったものが少なくない。そんなクラッシクコースの1つに、信州の七千尺コースがまだ「生きて」いるようなので、行ってみることにした。
ひどい二日酔で寝ていたが、何とか起きて、19:20のあさまで4人で出発、こんな時間に出かけるのは何だかリッチな気分。小諸には22時前に着き、駅前で飲み食いし、23時ごろ宿に着いた。宿の主人はいかにも善人ふうのおじさんで、こんな時間でもまずは風呂に入れと勧められた。部屋でTV見てから寝た。
1973.3.4(日)晴→曇
06:30にタクシーが来て、高峰スキー場へ向かう。ここは古いスキー場で、車坂峠(2055m)越えのアプローチ道路も、自然の地形に抵抗無く納まっていて、無理をして開発した感じが全く無い、実に良い道である。小諸市街が一望。高峰スキー場で朝飯を食べたらしい。
08:03スキー場の右手の第3リフトに乗ってから歩き始め、稜線を辿る。稜線は風があって寒く、耳当てを持ってこなかったのを後悔する。60分2ピッチの登りで、水の塔(地図には表示なし)から篭ノ登山(2228m)を越え、鞍部へ(このへん記録不確)。30分下って(?)地蔵峠、途中から湯の丸スキー場だった筈だが記憶がない。峠には小屋かスキー場の休憩ロッジがあった筈。更に登って(1852mピーク)、僅かに下ってさらに登って、湯の丸山(2098m)。ここから下って角間峠だが(ここは車道ではない)、ここの下りが唯一何とかスキー的だった。滑降の練習をしているグループがいた。
角間峠からはガイドブックには旧鹿沢スキー場へ下るコースがあるが、さらに稜線を辿ることにする。峠からツボ足で登って角間山(1981m)へ。ここからの下りはまるでスケート場、姿が映るぐらいのつるつる・かりんかりんのクラストで、エッジなんか殆ど効かないまま、からからと最大傾斜線方向へ降りる。新鹿沢スキー場へ出るが、ゲレンデは2つあり、それが全く連絡していない。つながっているだろうと思って無理にショートカットしたつもりが、ひどい薮でだいぶ迷った。1337m独標あたりまでは地図に滑った(というか薮漕ぎした)コースが書いてあるが、そのあとは不明である。ともかく、何とか新鹿沢の町へ出た。
所要7時間半、ひどく「コク」のあるコースで、我々の山スキーが目指す「大滑降」とは無縁の、まさに地味なスキー登山のコースである。当時は、山スキーの道具に滑走性能を追求するようなことを言うと山用品屋で叱られるような雰囲気が残っていたが、まさにそういう雰囲気のコース。雪質も全般に悪く、積雪も不足気味で、薮が(多分樹木が成長して)濃く、当時の小生のスキー技術や道具の限界(あるいは二日酔の影響?)もあろうが、正直言って滑りにくかった。何だかやたらストンストン転んだ記憶がある。
ぐったり疲れてバスで熟睡、気付いたらもう万座・鹿沢口駅だった。18:39発の急行・草津銀嶺2号の指定席(12号車8C)の手書きの硬券が残っている、何と懐かしいことか。
日本のオートルート構想
角間山から更に稜線を北へ辿れば、鳥居峠(上田から草津へ抜ける)で、この峠を越えるのもクラッシクコースだったが当時既に車道が通年開通していた。更に進めば四阿山で、根子岳から菅平へ降りても良いが、そのまま稜線沿いのコースを繋いで行けば、万座山・白根山、志賀高原を経て岩菅山、切明で魚野川を渡って、苗場山方面から十日町へ降りるか、又は鳥甲山へ向かうか、おとなしく志賀・野沢コースをたどって、野沢温泉からは更に峠越えで新井へ。浅間山からスタートすればそれこそ100kmに及ぶ、数日がかりの大コースになる。Y本先生はこれを「日本のオートルート」と命名したが、そんな長大なコースを歩く体力と時間と仲間は、もう無いだろうなあ。
●交通費メモ
万座・鹿沢口→都区内:運賃720円、草津銀嶺2号急行指定500円。