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八幡平・網張大縦断ツアーは今年も断念
日程:1973(昭和48)年4月6日(金)〜9日(月)
参加者:NABE、Y本、K田、K弟
コース:上野→(夜行)→盛岡→御在所温泉→大黒森→藤七温泉(泊)/→頂上→蒸の湯→大沼→八幡平→盛岡→(夜行)→上野

1973.4.6(金)晴
 昨年の裏岩手縦走の大ツアーは、F君骨折で断念、今年は再チャレンジである。しかし小生、もう学生ではなくR大の専任講師。そうそう長い休みは取れないから、往復夜行寝台で行くことになった。現在からは想像が難しいが、夜行寝台(ハネ)またはグリーン車(ロザ)で行くのは、この時代は常識的だった。
 当初は研究室の6名が参加する筈だったが、4人に減り、しかも出発寸前にメンバーが入れ替わって、ちょっと不安なまま、「ゆうづる4号」で上野を出る。常磐線経由だが水戸には止まらない、すごい列車だ。空いていて、よく寝た。

1973.4.7(土)晴→下り坂
 盛岡で下車、落合う筈のK君の姿が見当たらない。実家はたしか化粧品店だったと思って電話帳を引いて電話してみたら、当り。朝飯を食べてから彼等兄弟と会って、タクシーで御在所温泉へ。
 スキーの用意をして、リフトは一番乗り。レンズ雲や絹層雲で、風も出て来るなど、もう天候が崩れるのは必至。やはり今年も大縦走は無理そう。まずゲレンデを1本滑って腕試しをするが、新雪も腐っていて、なかなか滑りやすい。しかしK兄弟はあまり寝ていない所為か、何だかもたもたしていて元気が無い。だから茶臼岳はパスで、崚雲荘で昼食を食べたら、さっさと藤七温泉へ下った。
 夕方、K君は宿に置いて、ものすごい風の中を、昨年F君が骨折した斜面を3人で滑ってきた。わりあい滑りにくい雪質だった。
 ぬるい温泉が心地好い。夜は20時ごろさっさと寝た。

1973.4.8(日)小雨→ガス
 夜中にだいぶ雨が降っていたらしい。夜が明けたらガスで、視界は5〜10mしかない。10時ごろまでガス待ちをしたが、状況に変化なし。今年もついに裏岩手大縦走は断念である。残念だが、再び八幡平頂上へ向かう。足跡があるのでそれを使って登ったが、道標からだいぶ左へずれていて、頂上付近ではだいぶふらふらしている。頂上にはT大学ワンゲルのパーティーがいた。
 ガスの中、滑りにくい中途半端に腐った雪を下る。2時間足らずで蒸の湯に着いた。何と、あのひなびた温泉宿が、増築してホテルが出来てしまっている。昼食を食べ、何だか滑り足りないから、ここのブナ森ゲレンデを3〜4本滑る。森に入ろうとしたら、針金で柵がしてあり、スピーカーでそこを滑るななどと言われる、不愉快なゲレンデである。
 最後にバス停へ下る際、除雪した道路の脇の崖状になった雪の上を滑っていたが、先行するY先生に(体重が重くスキーの長い)小生が追い付いてしまい、左から抜こうとしたら崖を踏み外した。そのままずり落ちれば何という事はなかったのだが、垂直の雪の壁にスキーをひっかけて、2mぐらいの崖下に頭から転落した。ちょっと頭が痛かったが、幸い怪我はなく、起上がったら雪面に耳バンドがぽこっと残っていた。結果として、水筒とカメラ(ハーフサイズ、オリンパスペンD)が潰れた。このおかげでショックが吸収された、と言えない事も無い。この水筒(円盤状2リットル)は、今も愛用しているが、容量が1.5リットルぐらいになった。カメラもまだじゅうぶん使用に耐える、幸運であった。
 バスで八幡平駅へ。神社の大杉とそこいらの犬を見て時間を潰す。盛岡へ出る汽車でだいぶ飲み、K君宅で夕食を御馳走になった時は、かなり酔っ払っていて、あまりよく覚えていない。飲みすぎ状態で夜行(急行「北星」)寝台。

1973.4.9(月)晴→曇
 朝、脳貧血。まさか昨日頭を打った所為では、と不安になる。しかし、飲みすぎ状態で夜行寝台が暑くて「煮られた」所為だろう。
 今日は理事長と人事担当のK理事(後の理事長)から辞令をもらった。こういう大事な日だったのに、山でとじ込められたりしたら危ないところだった。無茶な日程で行ったものだ。バチが当ったのか、鼻風邪がぶりかえして涙ぽろぽろ状態になり、鼻血まで出て、翌日の初めての入学式をさぼることになった。

●メモ:
 急行寝台「北星」中段:1400円
 運賃(盛岡→都区内):2390円
 藤七温泉TEL(当時):松尾鉱山32番