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飯士山越え日没ツアー
日程:1974(昭和49)年1月27日(日)〜28日(月)
参加者:NABE、Y本、Hら、K多
コース:上野→石打→岩原スキー場前→岩原スキー場→石打後楽園あたり(泊)/石打→上野

1974.1.27(日)晴
 天神平から下るなど、上越の手頃な日帰りコースなら、山スキー初心者の大学助手・K君も連れて行って大丈夫だろう(しかしこれは少々甘かった)
 07:17上野発、いつもの佐渡1号で水上へ。しかし谷川岳方面は曇っているので、山下りは諦めて、石打へ。しかしもう晴れているし、石打のリフトを1本上がったところから見る飯士山が実にきれいなので、急遽、岩原スキー場から飯士山越えをやろうということになった。
 石打駅へ戻り、運賃40円に100円の急行券で、1駅戻る。岩原スキー場前駅(冬期臨時停車場)からスキー場までは、凍った雪の道路をからからとスキーで滑って行ける。
 リフトで台地に上がる。リフトを3本乗り継いだが、肝心の第8リフトが止まっている。仕方がないからゲレンデをシールで登るが、無論第8リフトのゲレンデは無人。ものすごい深雪で、シールでも膝までもぐる。しかし小生の短い山スキーはとても登りやすく、ぐいぐいみんなに先行、快調。
 深雪にひどく時間を食って、14:30から登り始めてリフトの上へ着いたら既に16時すぎ。もうだいぶ暗くなってきたが、あとは飯士山の肩を巻いて、比較的斜度のある斜面を下るだけで、大した距離じゃない。こんな深雪でも何とかなるだろう、というのが甘かった。
 K君はやはりだいぶ疲れたのかビビったのか、すとんすとんと転ぶが、まあ順調に下りはじめた。もう日もとっぷり暮れて、ナイターの灯りを賺しながら道を探す始末。尾根から左へ下る入口が分からない。Y先生は焦って探すが、我々はなんとなくリーダーまかせみたいな雰囲気でぼーっとしてたら、絶対に怒らないY先生がちょっと苛立って来た。何とか道を見付けたが、緩斜面に入ると下りもラッセル状態。やっと石打後楽園スキー場の民宿に辿りついたのは18:30、正味たっぷり2時間かかった。
 さて、何とか今日中に帰りたい。夜行でも良い。タクシーを呼びたいと言うがここには来ないと言われ(たかな〜?)、民宿の車で送って下さいと言うが送れない、泊れ、と言われた。仕方がない、明日は授業も無いから、泊ることに。N設計のH氏は泊って大丈夫?
 しかし上越の新雪直後のツアーは侮れない。予想を数倍上回る難度だった。ツアースキーが初めてのK多君には、ちょっとキツかったようで、彼は以後、参加していない。

1974.1.28(月)雪→晴
 予定外の1泊だった。民宿の親父は、何と今日は車で駅まで送ってくれるではないか。昨夜は我々を泊めたいので嘘だったのか。謀られた。K多君は9時の列車で先に帰ったが、我々は(暇だなあ)せっかく泊ったんだからと、石打丸山スキー場へ。しかしリフトは下半分しか動いていないから適当に滑る。以前は新雪を滑るのが夢だったが、新雪に飛込んできゃっきゃと喜ぶ自分に気付いて感無量、とは言い過ぎだが、上越の重い新雪も平気になっていた。急行「よねやま」で15時ごろには上野に帰った。なお「米山」は新潟県の独立峰で、雪の季節には上越線から真っ白な山容がよく見える。いちどアタックしてみたい山である。月曜のまっ昼間に帰って来るのはリッチだが、暇人である。夕方大学へ行ったが、何も仕事せず。


●メモ:
 運賃・石打→都区内:890円  急行券・石打→上野(200km):200円