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南八甲田・雪洞スキー


日程:1974.5.1(水)〜6(月)
参加者:NABE、Y本、Hら、Mろ、K田、F井
コース:5月1日:上野→(夜行)、2日:→青森→(bus)→猿倉温泉→雪洞、3日:→高田大岳→小岳→仙人袋→酸ヶ湯→(bus)→猿倉温泉→雪洞、4日:→猿倉岳→雪洞、5日:→乗鞍岳→雪洞→猿倉温泉→(bus)→青森→(夜行)、6日:→上野。

1974.5.1(水)  
 以前(1971)、薬師岳を目指す途上で小屋が見つからず、やむなく雪洞を掘った際に、あまりの快適さに、是非もう一度本格的な雪洞泊りの山スキーをやろうと思っていた。今年の5月連休は、最近我々のグループに加わったF嬢(後のK夫人)も加えた6名で、八甲田山で雪洞スキーを楽しむ事にした。なおこの山行の記録は、翌1975年「スキージャーナル」誌に掲載されている。
 スキージャーナル誌・1975(昭和50)年4月号・p1
 スキージャーナル誌・1975(昭和50)年4月号・p2
 スキージャーナル誌・1975(昭和50)年4月号・p3
 スキージャーナル誌・1975(昭和50)年4月号・p4
 この日は研究室の会議のあと、晴海へグッドリビングショーを見に行った。セキスイハイムM2が発表された、と日記にある。う〜む歴史を感じますなあ。さて、出発である。上野から夜行「ゆうづる」で青森へ。583系電車寝台の下段はとても広く、浴衣・スリッパまで付いて、実に快適である。寝袋・エアマット・鍋釜など小屋泊りセットの他に、ワイン5s、雪洞用グラウンドシート2.6s、雪洞用スコップなど。食糧は青森で買うにしても、かなり荷物は重い。しかし山スキー自体は日帰りだから、荷物の重さは苦にならない。

5.2(木)
 朝、青森に着く。魚市場へ食糧の買い出しに行くが、その活気と旨そうな食材の山にただ目を見張り、しばし買物を忘れるほど。食糧をしこたま買込んだら、タクシー2台で猿倉温泉へ向かう。雪洞は猿倉温泉から数分、遠すぎず、かつバス道路が見えない「山気分」が楽しめる場所(880m付近)で、穴の寸法を確保すべく沢沿いの吹き溜まり状の斜面を探した。すぐ下に川があって水は容易に入手可能。川の周りに露出した地面にはフキノトウが群生しているから、食べよう。雪洞の正面には高田大岳の堂々たる山容が見えて、頗る快適。
 ジュラルミン製の山用スコップを持参したが、猿倉温泉で借りた「本物の」スコップは強力だった。薬師岳で食器で掘ったのが懐かしいが、今回はがんがん掘った。スコップを借りに行く際、大きな犬がじゃれて来たので、手袋で遊んでいたら咥えて持って行かれてしまった。しかし犬語のできる(?)F嬢が、ちゃんと犬を手懐けて取り返してくれた。
 出正味3時間余りで容積15m^3ばかり(つまり雪を数トンも)掘った。中央にエントランス、左右5m、奥行2mで、左右に3人ずつ寝る。天井高は1.4〜1.5mだが、入口付近は腰を曲げずに立てるように床面を掘り下げる。床面はとにかく平面精度が快適な睡眠の条件。上部に通気窓(細いトンネル)を掘り抜き、(天気図用下敷・俎兼用)多目的ベニアを引き戸にした(夜、ここから漏れる光を外から見ると実にきれい)。入口はレスキューシートやザックなどで塞ぐ。なお天井には凸部があると雫が垂れるので、その後も何度も整形した。天井厚を確保すべく積雪の多い地点を探したが、奥の方では地面が出そうになった(だから斜面に沿って奥行2mが限界)。外構工事として、雪洞外部に食卓や調理場、食糧庫・ワインクーラーなどを設けた。
 作業の途中の休憩では本格的にドリップでコーヒーを入れるなど、飲食物に関しては贅沢な生活水準を維持するのが今回のモットー。バス道路から近い位置だから重くても平気。ただしお酒係のM氏が持って来たウィスキーがサントリーレッドの大瓶(ハンドルが付いたやつ)だったのは、ちょっとショック(笑)。

 今日は設営が主体で、夕方、近所の崖をちょっと滑っただけ。豪華な食事、シャンパン・ワイン付き。壁面には割り箸を刺して、手袋などを吊る(ただし絶対に乾かない)。皿を突き刺せば小棚になる。壁を削ってウィスキーに入れると、部屋が広くなって酒も旨いという、一石二鳥(「食用建築」なんちゃって)。せっかく猿倉温泉の近所にいるんだから、入浴に行く。宿泊客しか駄目ですと言われたが、F嬢の交渉の結果、入浴OKとなり、以後毎晩通った。

5.3(金) 快晴→下り坂
 快晴である。今日はまず高田大岳(1551m)へ向かう。登りでけっこうピッチを上げたら、F嬢がちゃんと付いてくる。気付いたら2人だけずっと先行していた。山頂付近は風が強く寒い。この頃はまだ兼用靴の良いのがなく、スキー靴は重くて長時間歩行に向かないからと、登山靴に「しばた」特製の足首固定具「ツアーセーフ」を付けて滑っていた。足首を左右に固定できても、後傾姿勢になると支え切れず簡単に転倒するから前傾姿勢が自然に身につく。しかしこんな不自由な道具で山を平気で滑っていたと、我ながら感心する。
 高田大岳は中腹(1100mあたり)まで滑降し、昼食の後、仙人袋(大岳・硫黄岳の鞍部、1290m位)へ登る。ここでも急ピッチで登ったら、F嬢も付いてくる。飛ばしすぎだよと心配したら、やはり彼女はバテた。最後の100mでY先生と小生以外の4人みんなノビた。しかしスキーを履けば疲労も解消、酸ヶ湯(920m)への滑降は実に快適だった。昨夜の大宴会で食糧がやや心配になったので、酸ヶ湯の売店で買い足す。バスの時間の関係で、入浴できず買物だけ。周囲の乗客の視線を浴びながら、大きな荷物を持ってバスで帰った。
 夕食後、近所の崖でグリセードで遊ぶ。のんびりした時間を贅沢に楽しむ。

5.4(土) 曇→雨も、強風
 天気は良くないが、今日も山だ。雪洞は人が通らない場所と思っていたが、実は猿倉岳の登山コースの真上だった。もっともこんな山にわざわざ滑りに来る人は滅多にいない。我々は、意外な位置に見付けた道標(その先は切れ切れ)を辿りながら、猿倉岳へ向かう。樹林を越え、まばらな木立のある大斜面へ出るが、それからが結構長かった。なお当時の5万分の1地図(単色刷り)には猿倉岳の表記はなく、崚線の先に駒ヶ峰(1416.3)がある。その手前のピークまで登った。
 山頂はガスの中。ガスをすかして反対側(南斜面)を覗くと、真っ白な急斜面が見える。地図を見ると、南八甲田には他にも滑りたくなる斜面が色々ありそうだ。天気が良かったらここを1本滑って登り返すところだが、このガスでは気を削がれる。元来た道を下って雪洞へ。結局今日は途中で誰にも会わなかった。
 仕事の都合でY先生とM氏が先に帰京し、4人になった。6人用にたっぷり広く掘った雪洞ではがらんと寒くなったから、片側のウィングに4人で寝た。H氏の提案で、今会の経験をもとに、理想的な雪洞の設計を考えた。何しろ夜は暇なので。なお雪洞内は外よりましとは言え寒いことに変わりはない。暖房用に水筒に湯を入れたものを湯たんぽ代わりにし。雪洞室内は湿度100%だが、それにしてもひどい湯気だと思ったら、湯たんぽに濡れた靴下が乗せてあった(笑)。

5.5(日) 晴→曇
 何とか天気は回復した。今日は帰京する日だが、午前中はスキー。同じ南八甲田の乗鞍岳(1449.8m)を目指す。いったん猿倉温泉へ出て登山道へ入る。こっちは指導標がわりあいしっかりしている。麓が100番、山頂が1番だが、上の方は殆ど無かった。踏み跡も多かったが、昨日同様、誰にも会わなかった。登りは2:55かかったが、下りは0:30で速かった。朝出る時は快晴だったが、出発したらすぐ曇となり、帰る頃には麓までガスだった。
 3泊もした雪洞は、気温が上がってだいぶ傷んできた。外構はぐしゃぐしゃに近い状態。荷物を撤収し、バスで青森へ。夜行十和田2号(18:50発)にはぎりぎりで間に合ったと日記にあるが、おそらく青森で飲み食いして(夜店通り「銀水」という箸袋が取ってある)、土産に干物などを買込んで、更に夜行用の酒を買って走って走って列車に飛び乗ったらすぐ発車だったと記憶する。飲み明かす筈だったが、寝台が2人+2人に離れていたので(それに疲れていたから)、すぐ寝込んでしまった。

5.6(月) 快晴
 12時間かかって06:40上野着。少し昼寝してから洗濯、買物。その後は何だか力が抜けて、テレビを見てぼーっとしていた。明日から仕事だ、がんばらなくっちゃ。

メモ
 青森・十和田周遊券(8日間有効) \5,100
 急行寝台(十和田2号)中段 \1,400
 昨今では寝台車など全く利用しなくなったが、当時は夜行寝台(ハネ)かグリーン車(ロザ)をさかんに利用した。