戸隠から飯綱山・黒姫山
日時:1975(昭和50)年3月14日(金)〜16日(日)
参加者:NABE・Y本・Hら
コース:上野→長野→戸隠(めるへんひゅって泊)/→メノウ山→飯綱山→戸隠中社→宿/大橋→黒姫外輪山→スキー場→長野→上野
1975.3.14(金)
先週末に単独行で湯沢高原へ行ったのに続いて、今週は戸隠である。あさま8号(19:34発)で長野へ。タクシーで宿へ向かう。今日の宿・「めるへんひゅって」は、研究室の同僚・A君のつながりの、若い夫婦でやってる洒落たペンションだが、ちょっと遮音性に問題。その後も、何家族か合同で子供スキーや夏のハイキングに利用した。
タクシーで宿に着いたのは23:40ごろ。
1975.3.15(土)晴→下り坂
今日は戸隠スキー場の一番奥のリフトで瑪瑙(めのう)山頂へ、そこから飯綱を目指す。このスキー場は5年ばかり前に来た時に比べて、数倍の規模になっている。
天気はなかなかの好天。怪無山(1546m)からリフトを乗り継いで瑪瑙山(1750m)へ。ここから急斜面を数分下ってから、ツボ足登高1時間足らずで飯綱山の頂上(1917.4m)へ着いた。山頂では無風快晴で、長閑な雰囲気でおにぎりを食べる。太陽に傘がかぶり、飛行機雲が出ているから、明日は天気が心配である。
山頂からは西登山道沿いに戸隠中社まで下る予定。前半は好調な滑降であったが、途中から密生した薮。写真を見ないと分からないが、おそらく落葉松の若樹が邪魔臭かっただろう。ちょっと迷って、いったん林道へ出て、再び鳥居から左方向へ下るが、また迷って、右(北)方向へ登り返して、国営スキー場へ14:30ごろ辿りついた。
まだ時間が早いから、戸隠スキー場へ出て、再び瑪瑙山まで行って、緩斜面のコースを延々ノンストップで滑って帰投した。宿の近辺は疎林で良い雰囲気。
1975.3.14(金)晴・ガス
天候は諦めていたが、予想に反して好天。今日は黒姫の外輪山を経て長野へ出て帰京しよう。07:50出発、まだクラストしているので、宿(1300m)から殆ど平坦な緩斜面をバードライン沿いにカラカラと滑って、労せずして08:30大橋(1140m)へ。08:40からシール登高だが、小生は靴擦れが怖い(痛い)のでツボ足。しかしあまり潜らない。09:23〜30休憩、10:30〜11:00食事休憩。このあたりから急に斜度がきつくなる。11:15ごろ、足元に白い紐が絡んでいる。手繰ってみたら気象観測気球の残骸で、ラジオゾンデがぶら下がっている。電池は、通常の乾電池ではなく、何と綿とガラス板を何枚も組合わせた、まるで理科の実験でつくったような電池だった。極寒の条件で短時間だけ確実に起電力が得られれば良いからだろうか。小さなアネロイド気圧計を記念にもらってきた。
12:30に外輪山のへり(1900m)へ。回り込んで13:30山頂(2053.4m)に着く。中央火口丘は今日はパスとしよう。14:00から東〜東北斜面を下りはじめるが、急にガスって来た。登りの西斜面とちがって、雪質が目まぐるしく変化する。木の枝に溜まった雪が凍結した塊りが落ちて、ほけほけの新雪に埋っている、かと思うとクラストしてアイスバーンになっている箇所や、ブレーカブルクラストもあるという有様。これは滑りにくい。
ガスで方向が分からなくなったが、運よくワカンの足跡を見付けて、それに沿って下る。銃声が聞こえる。猟師らしい。誤射されちゃたまらないから、「人間で〜す」と連呼しながらのろのろ滑って下る。雪の上に血が飛び散っている。スワ一大事と駆け寄ると、兎を解体した跡だった。不要な部位(内蔵、脚)が捨ててある。
15:20黒姫スキー場へ、リフトが平行にたくさんある。ゲレンデ下部は800m、なかなかの滑降であったが、ガスに巻かれた時に足跡があって助かった。
運よく15:30にバスがある。17:00長野着、17:09の信州5号という連絡の良さ。
●メモ:タクシー・長野→戸隠スキー場 \3500
長野→東京都区内 運賃\1180 急行券(200q超)\400 指定\300