日程:1975.4.2(水)〜3(木)
参加者:NABE、Y本(他にゲレンデスキーは20余名)
コース:(3月31日・上野→長野→蓮池着、4月1日・志賀高原ゲレンデスキーおよび焼額下りツアー)4月2日・蓮池→奥志賀→焼額山→カヤノ平ロッジ(泊)、4月3日・カヤノ平→毛無山→野沢温泉→長野→上野
1975.3.31(月)
晴
宿願の志賀・野沢クラシカルロングコース踏破を、Y本先生と計画した。T大学U研究室のスキーがいつもの蓮池・アルペンローゼだから、これに参加すれば天候待ちも苦にならないし、駄目だったらゲレンデで満足できる。Y本先生と2人で後から参加する形で、上野から長野経由、湯田中から多分バス(タクシーかもしれない)で15:30ごろ宿に着く。雪が降ってきたから今日はもう滑るのはやめて、宿の管理人・K玉氏とおしゃべりして過ごす。彼はご子息がスキー選手になったのが自慢。夜は合宿幹事が気が効かず酒を出さないが勝手に飲んだ、若者の無遠慮さにF嬢(後のK夫人)が過剰なぐらい立腹している、と古い日記に書いてある。
4.1(火)
快晴・曇
天気図に低気圧があって、好天は2日持たないことが予測されたので、野沢行きは中止したものの、結局良い天気だった。ほぼ全員で奥志賀から一ノ瀬まで戻ってくる焼額下りショートツアーに行った(このコースは何回も滑ったが、当時はまだ「ツアー」の範疇にあったものの、後にゲレンデと化した)。あとはゲレンデスキーだけ。
4.2(水)
曇→雪
何とか天気は持ちそうなので、朝08時のバスで奥志賀へ向かう。第3リフトが動くのをしばし待って、焼額山頂へ。09:50ごろ、ゲレンデを脱出していよいよロングコースに踏込んだ。10:05、緩い傾斜をスキーのまま登って、竜王の肩へ出る。ここで竜王下りコースと分れた。少し登り気味に歩行してから、かなり長い緩斜面を標高差300mほど下る。林道と小屋があったが、ここで早めの昼食。
あまり標高差のないコースなので、それからまた短い登りで高標山の脇を通った筈だが傾斜が緩くてよく分からなかった(ような記憶がある)。1712m地点から標高差250mほど下って、林道(といっても浅い凹みが続いているだけ)へ出て、地図を頼りに右(東)へ500mぐらい歩いたら、14:30頃、カヤノ平ロッジを発見した。実働3時間半あまり。
ガスこそかからぬものの、天候は悪化の一途で、しんしんと雪が降り続く。以前に行ったやはり降雪中を延々水平に歩いた八幡平(当時は踵の上がらない普通の締具と普通の靴で水平シール歩行だった)を思い出した。
小屋は3〜4mの積雪に埋もれ、予め木島平村役場(026901-呼-1番)に聞いておいたとおり、北側の2階の窓が開けてあったので、そこから入る。なお、役場の観光課からは蒲団・薪・酒・ビールも好きに使って・飲んで良いとの許可を得た。相当額を箱に入れて来たと記憶する。夏期は普通の観光地として営業している広い小屋だが、他に人はおらず、薪もふんだんにある。寝食分離で1階で食事し、明日の朝の食事の用意をして(これが裏目に出るのだが)、2階で寝る。蒲団は乾燥している。快適な夜が過ごせそうだ。ただし薪ストーブの煙で目が痛かった。
夜中に下階で物音がする。まさかこんな所に人は来ないだろうし、熊や狐が入り込む余地は無い筈。何だろうと思いつつも出て行くのが面倒で放っておいた。
4.3(木)
快晴
今日は長丁場だから、04時起床で、朝食に1階へ降りたら、ラーメンの袋は食い破られ、バターも銀紙ごと齧ってあるではないか。昨夜の物音は鼠だった。野性の鼠には恐ろしい伝染病の黴菌は無いような気もするが、何だか気持ちが悪いから、齧られた部分は大きく切り取って捨てる(多分焼却したと思う)しかない。軽量化を考慮した食事計画が崩れて、やや空腹で歩き出したような記憶がある。
06:40出発。明け方まで降っていた雪も止んで、快晴になった。ブナ等の樹の枝に付いた霧氷が真っ青な青空をバックに真っ白できらきら輝く、もうこの世の物とは思えぬほどの景色である。気温が上がって霧氷が枝からはらりはらりと落ちるのが、もう涙が出るほどきれいである。こういう景色は「誰かに見せてあげたい」という気持ちが募るのだが、こればかりは実体験しないと。それにいつ来ても見られるという訳ではない。できるだけ写真(当時はスライド)に記録しておこう。アサヒペンタックスSPを裸で首から下げたままのスキー。このカメラは丈夫だが、あまりに寒いと絞りの動作がぬめ〜と遅くなる。南極だかヒマラヤだかへ持って行く場合は、潤滑油を抜いて行くという話をきいた。
07:35に最初のピークへ。シールのまま右へ下ってまた登り、1675m三角点へ。ここでシールを外して滑降。下ったら、登って、また下る。今度は太次郎山の左肩からの下りで、シールを外して滑降。シールを外したのはこの2箇所だけで、他に長い下りはない。あとは少々の下りはシールのまま直滑降してしまう。かなり新雪が積もっているから、それでちょうど良い。最終ピークで野沢温泉スキー場からの最奥に当る毛無山の、1つ手前のピークで昼食(10:30〜11:00)。
今朝から、体中が無性に痒くなった。足首には昨夜から既に発疹が出ていたが、全身蕁麻疹のようだ。ウールの下着で汗をかくから、もう痒くて痒くて死にそう。青空に散る霧氷に感激しつつも、体中が痒くて耐えがたい。心当たりがあって残りのラーメン(当時は乾麺しかなかった)の袋を見たら、賞味期限ぎりぎりだった。店で日光浴して油が変質していたのだろうか。それにしても痒い。
毛無山から男女2名が来て、北竜湖へ下って行った。このコースも一度行ってみたい。12:37毛無山へ。当時はまだここまでリフトが延びていなかったが、ここにも4〜5人の男がいた。いずれも「志賀高原から来た」と聞いて非常に驚いてくれた(満足な気分です。越後湯沢から石打丸山へ行った時は、そう言ってもだれも反応してくれず、拍子抜け)。野沢温泉のゲレンデを快調に飛ばし、ざらめ状のシュナイダーコースを超スピードで降りて、20分足らずで村へ着いた。途中で右へ行って七ヶ巻へ欲張れば標高差1200mの大滑降だったが、満足したし、痒いから、今日はもう良い。
さて、2日間の汗を流すべく共同浴場へ。どの温泉に行ったか忘れたが、覚えているのは痒くて痒くて痒くて湯に浸かれなかった、ということだけ。熱い湯に気持ちよさそうに浸かっているY本先生を横目に、洗い場の隅でぬるくした湯で体をそぉ〜っと洗う、この惨めな気分、わかりますか?。右目の瞼には水泡までできてる、最悪。
バス・電車を乗り継いで長野へ向かう途中から、ますます空が青くなってきて、山が呆れるほどよく見える。ツアー中も、帰りの電車からも、こんなにたくさんの山が見えたのは初めてで、感激。19時前に上野に帰着。
このコースは途中に林道がクロスしており、木島平方面からの登山道も多数あるから、悪天候の場合のエスケープルートがあると思っていた。その必要が無かったからその気で見なかった所為もあるが、林道だからと言って歩くのが楽という訳でもなく、距離もけっこうある。あまりエスケープルートにはなりそうもなかった。
地図は5万(岩菅山・苗場山)を使った(当時は2.5万はまだ使わなかった)が、2.5万では8枚に及ぶ長大なコースである。
●装備:食事4食分、水筒、コンロ・鍋・食器、シュラフ不要(小屋に蒲団あり)、シール必須
◆写真はスライドからスキャンして後日掲載予定。