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加賀白山・雨で沈澱


日程:1975.5.2(金)〜5(月)
参加者:NABE、Y本、H、T橋、K田Jr
コース:米原・福井・勝山→市野瀬→甚ノ助ヒュッテ→別当出合→市ノ瀬→金沢→米原

1975.5.2(金)
 18:12発のひどく混雑した新幹線ひかり195号で20:41米原着、20:54発くずりゅう5号で22:12に何とか福井まで辿り着く。北陸線では可愛い中年おばさんと仲良く喋って楽しかった。駅の目の前にある福井館(0776-22-0921)に泊った。

5.3(土) 小雨
 朝07:55の電車で08:52勝山まで行き、タクシー(勝山タクシー:07798-8-0251、東京から駅前の旅館に電話していきなり「向かいのタクシー会社って電話は何番でしたっけ?」と聞いて教えて貰った、いけないいけない)で別当へ向かうが、車は市ノ瀬まで。途中の谷トンネルが長く、谷峠では伐採で山が丸坊主。5160円で市ノ瀬(≒820m)へ着いた。ここから登山が始まる(コース図)。
 登山センターから車道を延々歩く。車道が嫌になって途中で旧道に入るが、薮漕ぎで苦労した。雨中2時間足らずで別当のシェルターへ。ここは満員で、座るスペースもないから、立ったままで飯を食う。
 橋を渡って登りに入る。それまでは単なる雨の歩行でスキーのことは忘れるぐらい(でも背中のスキーが重い:ザックにX状に付けて担ぐ)だったが、このあたりからやっと雪が見え始める。約2時間で甚の助ヒュッテ(≒2000m)。ここから上はガスで雨なので、この満員の小屋に泊ることにする。もともとは雪洞でも掘って泊ろうと思っていたが、この雨じゃその気もなくなる。
 小屋は満員で、土間の石の床に何とか発泡プラスチックのシートを敷いて、寝る事はできた。夕方4時には携帯ラジオで天気図を描きながら、他の隊員は食事の用意。前線が九州南部あたりの緯度に横たわり、朝鮮半島と四国沖には低気圧があって、芳しくない。

5.4(日) 雨・風あり
 雨なので出られず、小屋で一日中沈澱。する事がないから「革命」(今では「大貧民」というやつですな、しかし当時のゲームには「市民革命」というなかなか理に叶った社会制度があった)を続ける。旅程メモの裏には22ゲームまで記録が残っているが、小生の一人勝ち状況。夕方4時の天気図では、低気圧が発達して三陸にあり、前線も本州南岸に発達して、全国的に風雨の状況。まずい。

5.5(月)
 朝はガス。今日はもう帰らないといけないので、頂上を目指すのは断念し、すぐに下山した。それでも結構登って来たもので、40分ほどかかってがけ崩れの少し上まで滑降し、市ノ瀬まで歩いて12:50のバスで15:50金沢へ。平行する電車がひどく寂れていてローカル風情満点、架線は木柱で走る電車の姿も見えず、これは廃止の前に乗りに来なければならない(1983.9無事完乗)。17:30の列車まで時間が少しあったので、東廓や武家屋敷などをタクシーで回る。米原までの列車(くずりゅう5号)はさすがに連休最後で込んでいたが、何とかばらばらに座れ、途中から1ボックスに5人掛けで一緒に座った。20:10米原、20:13の新幹線こだまで23:40東京。

●共同装備:コンロ+固形燃料、石油2リットル(多すぎ)、コッヘル2セット、雪洞用スコップ(使わず)、蝋燭多数、ナイフ2、補助ロープ、ランプ2、標識用布片若干(使わず)、レスキューシート(アルミ蒸着プラスチック)2、ガムテープ・ペンチ・ドライバー等、薬品、裁縫セット、ティッシュペーパー。
●個人装備:寝袋、マット、食器、水筒、非常食糧…etc.
●食事献立:
  3日・朝:旅館、昼:旅館弁当、夜:雑煮・干物
  4日・朝:餅+肉(味噌漬)入ラーメン、昼:パン、夜:赤飯・豚汁・干物
  5日・朝:餅+肉入ラーメン、昼:パン、夜:車内弁当