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月山大雪城夏スキー・清川行人小屋特別利用


日程:1975.7.25(金)〜28(月)
参加者:NABE、Y本、T橋、K夫妻、K弟、Mろ
コース:上野→山形→姥沢→(リフト・徒歩)→月山頂上→(滑降・徒歩)→清川行人小屋(2泊)、大雪城で1日中山スキー、頂上→(滑降)→姥沢

1975.7.25(金)
 今回も、月山頂上から東斜面を下ったところにある清川行人小屋に泊って、サマースキーを楽しもうと思った。しかしこの小屋は、管理人の工藤貞夫氏は下山して、小屋は閉鎖で、もう営業していない。林野庁弘報課や、西川町役場や、寒河江営林署庶務課などに連絡を取り、結局営林署宛てに4ページ半に及ぶ丁寧な手紙を書いて、何とか使わせて下さいとお願いしたら、許可が出た。26日昼過ぎに小屋を開けておく、蒲団は沢山あり、鍋釜も食器もあり、風呂は壊れているが水は出ている筈、とのこと。申し分なし。しかし結果的には、小屋番の工藤氏が我々の居る間泊ってくれた。
 23:49?の蔵王3号・グリーン車で上野を出て山形へ。

1975.7.26(土)晴→ガス
 朝06:10山形着。すぐ接続するバスに乗る。途中で乗換があったかもしれないが、08:40姥沢着。今日は頂上を越えて東斜面・大雪城を下った清川行人小屋まで入る。
 姥沢で飯、リフト(片道160円)で上がって、歩き出す。時々ガスがかかる。雪は平年並みで、要するに昨年が多すぎたようだ。鍛冶小屋でビールを飲むが、ぬるくて不味かった。頂上直下の緩斜面の雪田には、今年もR大二部スキー部の合宿が来てる。しかしこの雪田はすぐ切れてて、下にはつながっていない。途中からガスで、雪の上に張ってある針金を見付けてやっと下るが、下の方でまた迷った。濡れた枯れ草に滑り、どろどろになって尻まで濡れた。M氏はもう必至で降りている。
 清川行人小屋には、小屋番の工藤氏と、テントの3人、寒河江の可愛〜い高校生2人を連れた先生or親。小屋の近くに小さな祠があり、昔は立派でここに詣って月山に登らずに帰った人もいたそうだ。
 工藤氏は我々のためにただ小屋にいるだけの番をしてくれてる。彼も食べねばならないから、食べ物を作っている。シゲンカラマツのおしたし、ネマガリタケの筍と茸(ワカイ)の入った味噌汁を沢山つくって、我々にも分けてくれた。

1975.7.27(日)
 ぎんぎらぎんの晴天。太ももと肘が日焼けでひりひりする。午前中はK夫人を小屋に残し、男子だけで2つ目の雪田まで登る。その上の雪田(R大二部スキー部の練習場)はパスで、お茶だけ飲んで、昼食は下ってからにする。小屋へ戻ると、K夫人は麦わら帽子にフランス製バーミューダショーツ姿でお下げ髪にして、年齢不相応に可愛く、まさにフランスの田舎の少女。すっかり山岳リゾート気分。
 昼寝してから、3時ごろやっと出て、3人で下の雪田の壁を登る。今日は雪が緩んでいて滑りやすく、荷物も無いから身軽で、ちょっとジャンプすると気持ちよく回れる。そういえばはっきりテールを跳ね上げるジャンプターンはこのごろあまりしていなかった。軽くて柔らかいショートスキーで、曲がりすぎなほど心地よくターンを決める。

1975.7.28(月)
 昨日は焼き過ぎ。しかし夏スキー気分は、短パンでないと盛り上がらない。
 さて今日は帰る日。3日間付き合ってくれた工藤氏に、お礼の言葉だけで立ち去るのはあんまりだ、といって用意して来なかったので、■円札をティッシュに包んで、K夫人が営業スマイルで渡した。
 小屋を出て雪田を登る。2時間余りで頂上。ここからは下りだが、T橋隊員は膝不調なので、ゆっくりしたペースで下る。姥沢側の斜面の一番上の雪田でスキーを履くが、まだ雪は下までつながっていない。昨年は一番上の雪田が下までつながっていたが、今年は3つ目の雪田までスキーを脱いだり履いたりして降りたら、やっと下までつながった。ギャラリーが多いから、登り返しを覚悟でロープトウの脇の均された斜面を一滑り。姥沢は雪が切れているから、リフトで下山する。パンとビールの軽いランチ。12:10のバスで山形へ。15:43発のやまばと3号(全車指定)に立席券(900円/乗車券は1890円)で乗って、何とか座った。

・食糧計画:
 26日:(姥沢)、  パン・チーズ・ハム・レタス・紅茶、餅・干物・野菜・味噌汁
 27日:餅入とん汁、 パン…etc.、 赤飯・キャベツ・ハムステーキ
 28日:餅入ラーメン、パン、   (非常食:チョコレート・煎餅)
 結局パンは2食しただけで、2/3以上余った。