奥志賀から竜王下り
日時:1976(昭和51)年3月25日(木)
参加者:NABE・U山・M留
コース:蓮池→奥志賀→焼額山→竜王→土橋→中須賀川→信州中野→蓮池
1976.3.24(水)晴
U研究室の恒例のスキー合宿で、志賀高原へ。一人で、上野から志賀2号(12:16発)は込んでいたが、小諸から座れた。長いスキーは邪魔だし、一人旅は不便で寂しい。夕食前に蓮池に着いた。宿は志賀の定宿・アルペンローゼ。管理人のK玉氏は、これまでぶっきらぼうな態度で、時には怒られたことまであるが、今日は彼から話し掛けてくれる。常連客として「認知」されたようだ。この宿のオーナー会社のS工務店のS氏という人が、私学共済の山荘(明日から開店)に来ていて、飲んでいろいろ話して面白かった。近所に出来た私学共済「やまゆり荘」は、その後、自分の研究室で何度か利用した。
1976.3.25(木)快晴
今回は志賀のクラッシクコースである「竜王下り」コースを滑ってみたいが、いつものY先生がいないから、仲間を探す必要がある。後輩のU山君・M留君が同行することになった。天気も良い。
奥志賀へ行って、午前中は焼額山の新雪を2本ばかり堪能した。高気圧がやや北寄りを通って、昼前に快晴になった。11:30ごろ、奥志賀の第3リフト上のヒュッテを出る。焼額から竜王へ向かうが、途中の潰れかけた小屋のあたりで、挙動不審の老女。一応山の恰好をして、タオルを首に巻いて、「平標(たいらっぴょう)はどっちかね?」などと聞いてくる。しかしこんな時間から、しかも老女1人でそっちへ行くのは到底無理でしょう。話をするうち、じゃあ私もそっち(竜王下り)に付いて行って良いか、とくる。今更奥志賀へ戻りなさいと言っても、我々が登り返して送って帰らねばならない感じだし、あとは下りだから、この怪しげな老女と同行することになった。
彼女はヤマハのショートスキーを履いているが、妙に滑らない。見たら裏面が全面凍りついていて、これでは滑れない。仕方がないから氷を削ってワックスを塗ってあげる。やれやれ、先が思いやられる。
竜王下りは昔からあるコースで、昨今では新しく出来た北志賀スキー場へショートカットして下るのが普通のようだが、我々は蟻の戸渡り経由で土橋まで下る、正統なコースを行くことにした。このコースは蟻の戸渡り以外は全般に楽な下りの連続で、途中で登り返したりするストレスが無いから、気分が良い。さすがクラシカルコース、楽しくも景色の良い、なかなかのコースである。指導標ははっきりしない箇所もあるが、全般に迷うことはない。
蟻の戸渡りは、ごく日本的なスケールのナイフリッジ。フィックスロープがあるが、掴まって下るよりスキーでちゃんと降りた方が安全。しかし幅は2mないから、小生は160cmのショートスキーだが、長いスキーじゃ薮に引っ掛かりそうで、スキーの前後が空中に突き出る。階段歩行で慎重に下るが、こんなところだったら横滑りで下っても大したことなさそうである。しかし婆さんがひどく手間取った。
山を下って、除雪寸前の林道を下り、もう一つの林道らしいところへ出て、土橋へ。無事滑降終了。婆さん連れでも2時間30分だった。ここからアスファルト道路をばたばたと約1q歩くと、中須賀川のバス停。15時過ぎにバスがあるから、それまで約30分ある。バス停脇の店で蕎麦をくう。バスではこの婆さんが「私はシルバーシート」とさっさと優先席に座る。飯盛山を回るように、夜間瀬へ。ここで降りても良いが、そのまま信州中野まで乗る。この時にいろいろ喋って、この婆さんは只者では無いこと、41でスキーを始めて既に25年やってる65歳であること、かなりのインテリのご隠居生活であること、等々、いろいろ話を聞いた。
しかし何というマイペース人間。焼額小屋で我々に会わなかったら、遭難してたかもしれない。婆さんは中野で電車を待つというが、若い2人は蓮池までタクシーで帰りましょうという。はからずもいっしょにツアーをして、かなり情が移ったのは小生だけだったのか、若いものは婆さんのことはあまり気にしていない様子。ちょっと可哀そうな気もしたが、当然いっしょにバスで戻ると思っている婆さんに、冷たく「我々、タクシーで帰りますから」と、中野駅で彼女を見捨ててさっさと帰って来た。夜間瀬まではバスと同じコースを戻るのは、ちょっと無駄をした気分。
このコースは概ね下りで、予想より距離があって、結構楽しいツアーだった。婆さんとの出会いも面白かった。しかし彼女とはその後なんの関わりも生じずじまい。宿では毎晩宴会だった。
1976.3.26(金)晴→曇
奥志賀は強風でリフトも止まった。みんなとはぐれて焼額下りで一ノ瀬へ出て、寺子屋でみんなに会った。
夜は、当時はやっていたトランプのゲーム「革命」(その後「大貧民」になったが、我々の「制度」はだいぶ複雑だった)を、K夫妻・A君・小生の5人で、やや排他的に、やった。
1976.3.27(土)雨→曇
午前中は雨だった。昼前あがったので出たが、ガス。雨を含んでぐしゃぐしゃのジャイアントを、かなり頑張って滑った。
今夜は残ったU先生親子3人とK夫婦と小生の6人。すき焼+ワイン。また「革命」をやった。
1976.3.28(日)晴
今日も好天である。しかし新雪5mmでは滑り良いとは言えない。かりんかりんのアイスバーン状態の高天ヶ原を滑り、U先生親子組といったん別れ、高天ヶ原の林間コースを滑る。このコースも、山に無理なく付けた滑りやすいコースで、まさに正統的・伝統的なスキー娯楽を堪能させてくれるコースである。一気に下って、ジャイアントリフトで上がって、蓮池ロープウェイを20分待って、また高天ヶ原へ。ここから寺子屋へ出て昼食。ここも2〜3本で飽きて、また高天ヶ原林間コースを下る。コースから外れて沢筋を滑って見ると、雪質はなかなか良い。一瞬の山スキー気分。
ジャイアントの下でU先生親子を待ち、別れを告げる。小生は原則電車を使うことにしてるが、今日はK夫妻の車に便乗させて貰う。
志賀から下って信州中野。そこからは長野電鉄沿いに、須坂、小布施、八代、屋代など、由緒ある古い町を車窓から楽しみつつドライブ。小生が地図を見ながら、「まもなく右に小学校、歩道橋の先に消防署」などと、余計なナビゲーターをやりながら、爆笑のしつつ楽しく帰った。K夫人は長芋や林檎を農家から直に買ったりで、なかなか面白い。しかし、こんなことをやってるとなかなか東京に着かない。ずいぶん時間がかかって、結局12時近く、自宅まで送ってもらった。
●メモ:急行「志賀2号」乗車整理券 \50
帰宅後は、30日に国鉄が全日、私鉄も半日ストだった。