焼石岳・地吹雪で途中断念
日時:1976(昭和51)年4月2日(金)〜3日(土)
参加者:NABE・Y本
コース:上野→水沢→尿前(泊)/→銀明水→尿前→水沢→上野
1976.4.2(金)雪
焼石岳は、昭和48(1973)年8月14日に夏油温泉から入って金明水小屋泊、15日に尿前へ下っている。夏なのに残雪があり、山の地形もいかにも山スキー向きという感じである。昨年の「山渓」に紹介記事が出ていた。だから今回、いつものY先生と挑戦した。この年の春は、それこそ毎週のように山スキーに出かけていた。
はつかり10:30上野発、水沢からタクシーで尿前へ。べたべたの水っぽい雪が降ったり晴れたりの、嫌な天気。泊った焼石観光ホテルは、今日の宿泊客は我々2人だけで、大きな浴槽の湯がもったいない。
夕方、石淵ダムまで1人で散歩、と日記にあるが、何故「一人」か不明。山行ファイルに「Y先生、お腹が痛くて不調」とあるから、その所為かもしれない。そう言えばY先生は十二指腸潰瘍を煩っておられた時代があった。
1976.4.3(土)曇・強風
4時過ぎに目覚めるが、相変わらず雪が降って、強風。−40℃の寒気が来ていて天気は最悪だが、気温は高く、10cmの新雪で、凡そ最も滑りにくそうな雪質である。でも行けるところまで行ってみようということで、5時に宿を出た。朝食をどうしたのか、記録・記憶なし。
しばし除雪された県道を歩く。05:35、除雪区間が終わったので、シールを付けて05:45から歩きだす。3年前に来た時は岳山経由の登山道を下ったが、今回はその夏道は行かず、ウバ沼(山渓にはツブ沼とあるが地図はウバ沼)を過ぎて更に県道を進み、平七沢沿いの林道から登る。06:30林道入口。まもなく林道の終点で、ここから道標が1番から始まる。07:30、20番の道標。途中にテントが1張あって4人がまだ寝ている。08:05、50番の道標で、道標はここまで。08:45おしっこ休憩。09:25〜10:00銀明水のちょっと下あたりで昼食。
相変わらずの強風で、激しい地吹雪だから、Y先生持参のツェルトをかぶって食事をする。ただ袋をかぶって、ばたつく裾を尻に敷いているだけで、風でばたばた煩いが、風よけにはなる。真っ赤なツェルトの中では、目がすぐ赤に慣れてしまい、Y先生が煙草を吸うために点火したライターの炎が補色残像で青く見える。
気を取り直して歩きだす。10:25銀明水、道標の赤ペンキはここまで。さらに頑張るが、10:45ごろ、地吹雪が激しく視界が効かなくなったので、一時ストップ。本来はここから上がスキー的な地形なのだが、やはり登頂は断念した。正確な地点は不明だが、標高1200ぐらいだろうか。
11:00下山開始するが、雪質は最悪。11:45、18番の道標。12:00、1番の道標。12:08登山道入口、ここからは殆ど平坦なので、締具の踵をフリーにしてかったる〜い平地滑走。12:50スキーを脱ぎ13:00歩きだす。13:35寺島酒店、ここでツアーは終わった。下山して山を振り返ると、激しい地吹雪が全然想像できないぐらい穏やかで、早々に下山して来たのが何だかもったいなかったような気分になる。しかしあの状況では前進できなかった。
14:17のバスで15:05水沢着。15:23のやまびこ3号で、悠々座って帰ってきた。今回はY先生がお腹が痛くてファイトが出なかった。
当時、カメラはペンタックスSPを使っていたが、今回はY先生が「こんなに小さなカメラがありますよ」と借りてきた、超小型フルサイズ35mmカメラ「ミノックス35EL」を借りた。前面カバーを下げるように開くと、レンズが出てくる。蛇腹式の旧式カメラをそのまま小型化したような、実に味のあるデザイン。しかし何かセッティングがおかしかったのか故障だったのか、画像が全般に暗かった。ツェルトの中の真っ赤な写真だけがきれいな露出で写っていた。
●メモ:焼石観光ホテル(尿前)01974-6-3132、泊\4500、おにぎり\500、ビール\360。
岩手県南バス(水沢)01972-3-5131
水沢→都区内\2400、自由席特急券(600q)\1300(いずれも硬券)、指定へ変更\100、食堂車\1430。