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ひっそり穴場・豪雪の守門岳

日時:1977(昭和52)年5月2日(月)〜5日(木)
参加者:NABE、Y本、Hら、N田
コース:上野→長岡(泊)/→栃堀→保久礼→キビタキ小屋→保久礼小屋(泊)/→大岳→袴岳→大岳→保久礼小屋(泊)/→長峰→大平→小出→上野

1977.5.2(月)
 守門岳へ行く。この頃は、スキーツアーガイドの本に出ているコースを片っ端から滑ろうとしていた。今回のメンバーは、いつものY先生、H先輩の他に、R大ユースホステル同好会の教え子・N田君も参加。
 上野19:38発・とき13号で22:45長岡へ。食堂車(聚楽)の3人で3870円というレシートがあるが、何故3人かは覚えていない。長岡駅前のホテル大国(0258-32-4860)に泊る。かな〜り防災上はヤバいぼろホテルで、ちょっと惨めな気分。持参の酒は今夜で全部空けてしまった。

1977.5.3(火)曇
 早起きしたが、駅の食堂は7時から。6人パーティーが先にバスで出て行ったが、連中は道院泊りorテントだろう。我々はタクシーで栃尾→栃堀(160m)へ向かう。「がんぎ」と言えば長岡が有名だが、長岡・見附あたりも「がんぎ」がある。その他、燕・三条・小出等、このあたりのちょっとした古い町にはみんなある。ただしS造の商店街アーケードに変身した所もあるから、オリジナル雁木と後からアーケードの見極めが大事。このあたりは田中角栄の地盤、というより、鉄道ファンとしては栃堀電鉄という私鉄があった(ごくごく最近廃止になった)方が有名。途中で路盤や鉄橋が見えた。道院ヒュッテ経由がメインコースらしいが、車がダム工事現場まで入るから、そっちから入山する。下りは木守あたりまで滑走可能と思われた。
 4300円ぐらいでダム工事現場のあたり(220m)までタクシーが入った。残雪がちょっとでもあるとタクシーでは無理だが、バイクだったら谷道との分岐(赤花:360m)までは行けそう。木守あたりで雪が相当多くなり、地形が分からない。林道沿いに登るつもりが「右旋性」を発揮してしまい、大平(帰りにタクシーに乗ることになる地点)の近く迄南下してしまった。小さい沢を3つ越えて、長峰のロボット雨量観測所のあたりでやっと本来の林道へ戻る。何だかやたら里に近いところをうろうろしている訳だ。この途中で飯。
 やがて今日・明日の宿となる、保久礼小屋(情報:02585-2-3882上村弥太郎氏)へ。立派な2階建コンクリートブロック造。他に誰もいない模様。ちらかった小屋内部を掃除する。小屋に荷物を置いて、更にキビタキ小屋まで30分ばかり登る。ここは犬小屋のような惨めな非難小屋で、今にも壊れそう。このあたりでガスに入ったので、登高は中止、滑降。
 沢沿いに滑って、あっと言う間に保久礼小屋へ戻る。小屋には単独登山者が1人来ていた。食事の後、小屋の1階にある炉で焚き火をしたら、煙突が塞がっていて煙が小屋に充満し、目が真っ赤になる。2階の客が燻されてたまらず降りてきた。降りてきた彼だったか、もう一人来た方だったのか覚えていないが、このあたりの山々をミニスキー(非常に短いの)で滑りまくっている越後のベテランで、蕗やウドを味噌あえにしていろいろ食べさせてくれる。持参の酒が昨夜入山前に既に切れていたので、サントリーレッドまで分けてもらった。このあたりの山はあまり大滑降的ではないが、自由に歩き・滑り回っている彼が羨ましい。貉ヶ森という何とも良い名前の山について彼に教わった。

1977.5.4(水)晴→曇→快晴
 好天である。06:30に出発する。越後の彼もいっしょ。途中で2度ほど薮道に入るが、総体的に雪は多い。ただし雪の表面には樹の葉や実の枯れたのがいっぱい溜まっている。約100分で大岳(1432m)に着いた。ここで地図を拡げたり、崖下を覗いたりしていたが、あとで下から見上げてぞ〜っとした。巨大雪庇の亀裂の先に乗っていたのを知らなかった。
 ちょっとだけ滑って、スキーをデポしてあとは歩きで守門岳(1537m)へ向かう。往き60分、帰り50分。守門岳から見ると、大岳の風下側には厚さ数十mの雪庇(というか雪塊)が付着していて、それがすっぱり割れて落ちている。さっき頂上で地図を拡げて見ていた箇所は、今度落ちるだろう亀裂のまさに真上だったのだ。彼に聞いたのか帰りのタクシー運転手だったか忘れたが、6月ごろに守門岳の雪庇が落下すると、山の反対側の里でも聞こえるぐらいの大音響(振動?)が起こるそうだ。
 本来はスキーを持って行って火口壁内側を滑って遊ぶべきだったが、何となくのんびりムードに流されて、昼ごろに小屋に戻ってしまった。越後のミニスキー男は、あんなに短いスキーで実にうまく滑る。ミニスキーは、登る時はストックに縛り付けて肩に担いでいる。
 あとは「山小舎生活」を楽しもう。虫(ブヨ)がうるさく付きまとうが、汗臭いからだろうという仮説のもとに川で全裸で水浴びしたら(冷たいの何の!)、たしかにブヨが寄ってこなくなったから、裸で天気図を作図する。のんびり。
 雪の圧力で潰れて煙突を塞いでいる煙突の蓋(屋根)を修理する。2階建の屋根の上に突出している煙突の屋根を支持する4本の鉄筋が倒れているが、屋根よりずっと高い所まで積雪があった訳だ(小屋の周囲は土露出なのに)。雪で折れた太い枝を立てかけて梯子がわりに屋根に登り、別の枝を梃子にして曲がった鉄筋を直した。3本直せば屋根が載る。
 夕方、近所の斜面で林間滑降して遊ぶ。この頃は登山靴にツアーセーフ(足首固定用アタッチメント)を付け、ベラールという妙に柔らかい幅広ショート(160cm)スキーにジルブレッタを付けたのを愛用していたが、後傾すると簡単に転倒する。樹間でかなりくしゃくしゃに転倒し、擦り傷と、口を少し切る怪我をした。Y先生は「スキーは転ぶもんです」と慰めてくれるが、こんな場所・地形・雪質で転んだのは相当なショックだった。おまけに、夕食でウドを剥いている時に爪の裏に深く刺してしまい、痛い。ちょっとブルーな気分。
 雪で折れた枝(というか相当に太い幹みたいな枝)を、樹の又を使ってへし折って、太い薪を沢山つくり、煙突を直した炉で豪快に焚き火をした。

1977.5.5(木)曇→雨
 もう一度登頂して、稜線(というか巨大火口壁)を辿って大白川へ下るという案もあったが、今にも降り出しそうな空模様なので、すぐ下山することにした。小屋から1kmの長峰(704m:栃堀と大平の分かれ道、ロボット観測所あり)で越後の山男と分れ、我々は大平へ(長峰から2km)。途中で一回もスキーを脱ぐこと無く、大平集落の田圃の縁(500m)まで降りた。周囲の田圃はまだ残雪が30cmある。往きでも感じたように、人っけの無い山奥だと思ったら意外に人里が近い。まだ朝の8時。13戸あった集落が今では3戸になってしまった内の1軒、遠山末次郎さん宅に声を掛ける。人恋しいのか、まあ上がって行けと熱烈歓迎。タクシー(小出・雪国タクシー)を呼ぶ間、お茶(もう殆どピンク色だけど)と沢庵(塩辛い)と餅菓子を御馳走になる。彼は自給自足生活で、牛・山羊・七面鳥・鶏・兎…etc.を飼っている。
 タクシーで酷い山道を下る。上条で只見線に合流し、途中の須原で豪壮な茅葺の邸宅・目黒邸(国指定重要文化財:主屋・中蔵・新蔵、寛政9/1797、宅地面積4710u)を見学した。雁木は高田が有名だが、小出にも駅前ではなく旧市街には雁木があった。小出からとき5号に乗り、実に中途半端な時間に帰宅した。

●資料
・地図 5万:守門岳(新潟16号)
・会計 交通費 (帰り)小出→都区内:\1800+特急自:\1400
        taxi長岡→栃堀ダムサイト:\4300 大平→小出:\3800
    宿代(ホテル大国):\2970(朝食付/@1人)
・食糧
    2日夜:食堂車 持参の酒は全部飲んじゃった
    3日朝:長岡駅 昼:パン(2回) 夜:鶏笹身味噌漬+糯+サラダ 越後男のウド+フキ+サントリーレッド
    4日朝:ラーメン 昼:パン(2回) 夜:赤飯+シシャモ+味噌汁+サラダ 夜食:同上
    5日朝:ラーメン 昼:小出駅前で虹鱒定食