RYH山小舎・雪おろし
日時:1978(昭和53)年3月13日(月)〜15日(水)
参加者:NABE・I田、他にYH部員3名
コース:上野→水上→武尊橋→RYH山小舎(泊)/山小舎周辺/→武尊橋→水上→上野
1978.3.13(月)晴→雪(山)
小生が顧問をしているR大学ユースホステル同好会は、上州武尊の麓に山小舎を所有している。これを拠点に山スキーを何度か試みたのは当然。今回は卒研生のI田君と共に、積雪期の山小舎へ行った。他にユースホステル同好会の部員3名(M谷、K山、Mき)も2日目から参加した。この部の用語では「雪下ろしホス(テリング)」と言う。
I田君と2人で、いつも利用する「とき1号」で水上へ。バスで武尊橋へ。昨夜、まだ新婚の家人が義母とアメリカ旅行に出かけたのを見送って、義父と痛飲した所為か、二日酔に苦しみながらも、シールで山小舎まで登高。雪が異常に多い。一昨年来た時に比べて、積雪が1mは多い。山小舎は母屋も薪小屋もすっかり雪に埋っている。北側は屋根の雪と地面の雪がつながっているから、圧密沈降すると屋根が破壊される危険に瀕している。今日は山小舎を雪から掘り出す作業だけで終わった。
母屋の北側は全く雪に埋没、東面は高窓が外から覗ける程度。南面の入口は鍵が凍りついて開かず、ついにドアを蹴破って入った。屋根の雪が滑落する際に屋根の瓦棒キャップ鋼板もろとも滑っている。除雪作業には相当な時間がかかりそうだから、まずは地面の積雪と屋根の積雪の縁を切るため、鋸やスコップで切断する作業から始める。入口通路を確保して階段を付けた。このあたりで今日は作業終了。
豚肉のすき焼。何か足りない感じだが、ワインを飲み、ナッツを食べて、御飯も少し食べて、妙な夕食を終えた。外は雪が降りはじめた。
1978.3.14(火)雪
昨日の残りのスープで御飯を食べ、午前中はI田君と汚れた小屋の内部を徹底掃除、ぴかぴか(煤けていて光る筈は無いけど)にきれいにした。薪小屋へ薪を取りに行くが、薪小屋は1m以上の雪に埋っている。屋根の雪を1トンばかり除雪する。積雪荷重で撓んだ屋根が、小屋一杯に詰った薪で支持されている状態で、除雪して荷重を除去すると、撓んだ屋根が突然「ずん」と数cm跳ね上がる。
今日はユースホステル同好会の3人が加わった。彼等3人は、スキーで迎えに行こうと思っているうちに、昼過ぎに登って来てしまったが、腰までのラッセルだったそうだ。林道沿いに来ればもっと楽だったろうに。
I田君と小屋周辺でスキーをするが、ぼそぼそした新雪で滑りにくいの何の。あまり面白くなかった。
夜は今回もイグルー造り。山小舎から通路を経て離れを作ろうと考え、やや小さめに設計したが、今回もスパンが大きすぎてアーチ屋根を架けることができなかった。それでも、通路部分だけはトンネル状に屋根をかけ、その先を塞いで細長いスペースを一応完成。
そう言うわけで、今日は除雪等の作業に終始。夜はミートボール、豆御飯、サラダ…etc.。たくさん飲んだ。
1978.3.15(水)雪
結局、山スキーは出来ず仕舞いで、下山。朝は残り物を適当に食べるが、昨夜も飲みすぎでかなりひどい二日酔。10時すぎ、やっと撤収して小屋を出る。小生が1人先行する形で滑るが、表面が凍った新雪はこの上無く滑りにくい。他のメンバーは(記録が無いが)徒歩で下ったのだろう(もしスキーだったなら相当てこずった筈)。ブレーカブルクラストというか、表面が妙な剛性を持った湿雪の新雪を、それでもかなり強引に滑って、武尊橋バス停に着いたら、その直後にバス(11:10)が来た。慌てて乗る。昼食は水上駅前の登山客には有名な鍋焼き饂飩だが、ここは七味唐辛子をかけると山菜の風味が落ちると店主に怒られる(だったら置くなよ)。二日酔で不調のまま帰京した。
帰宅、入浴、寒気がして不調。夜はN響定期コンサートで、家人が留守なのでK建設の先輩K俣氏と行ったが、小生は1曲目(尾高賞)に間に合わず2曲目から、K俣氏は3曲目に間に合った。メインはアイヴズの現代曲で、何と指揮者が2人という珍品。
明日はY先生と関田峠越えと野沢七ヶ巻のツアーに出かける。この頃は本当によく山スキーをやっていたものだ。
●メモ 交通費:\4820(水上→都区内\1300、急行券200q迄\500いずれも硬券)、泊:\0、飲食:3060、他:\700、合計≒\22260