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1980.2天元台・西吾妻から裏磐梯・小野川まで大滑降


日程:1980.2.24(日)〜25(月)
参加者:NABE、Y本

1980.2.24(日)晴・ガス
 上野発08:03つばさ1号で米沢へ向かう。列車は空いていて悠々座れた。東北本線の特急列車は食堂車連結なのが泣かせるねえ、ハンバーグ定食にした。真冬の板谷峠越えはなかなか良い。雪が多い。米沢は大雪の後で除雪中。駅からタクシー3750円で白布温泉湯元へ向かうが、運転手が山スキーヤーで、いろいろな山を滑っている。道路が詰ってしまって、だいぶ手前で降ろされた。山形交通の赤とピンクのボンネット型のバスがいたのはこの時だったか、その次(大沢下り)の時だったか(要確認)。
 ロープウェイで天元台へ上がり、すぐの所にある「天元台ロッジ」(TEL:023855-2231)へ。ここは以前U研究室でゲレンデスキーに来ているが、前夜に東京で大雪が降って興奮し、近所の友人宅でひどく飲んで二日酔で、小生だけ行けなかった。だから天元台スキー場は今回が初めて。天元台ロッジは、数百人泊れる規模。玄関ロビーにとぐろを巻くように突っ込んで並べてあるスリッパが壮観。部屋は、本館の入って右の廊下に面した、真ん中に吹抜け・階段があって左右に5人ずつの小部屋がある、いかにもスキーロッジらしい造り。A室の1階だった。この宿はスキーする者には何だか居心地が良い。経営者がスキー好きなのだろう。大沢駅行きのガイド付きツアーもやっている。しかし我々は人の行かないコースへ行く。
 14時前、早速ゲレンデへ出て、一番上から樹林帯を少し登ってみたが、濃いガス。上からおっさん3人パーティーが降りてくる。様子を聞いてみたら、西吾妻までシュプールがあるとのこと。林間は滑りにくく、おっさんの1人はシールのまま降りてくる。明日が思いやられる。ゲレンデを一滑りするが、台地上は斜度がなくてつまらない。脇の新雪をちょっと滑る。43゜のインターハイコースに滑り込むと、カラカラのクラストでひどく滑りにくいが、転倒もせず無事下れた。しかし下山後ロープウェイ迄の2kmは遠かった。諦めた気持ちでスキー靴でペタペタ歩いて戻った。
 夜はすることが無い。TVでオリンピックを見て、他人のするTVゲームを見て、風呂に入って、飯を食って、隣の女の子の塩辛の瓶の蓋を開けてやって、早めに寝た。

1980.2.25(月)ガス・小雪→快晴
 早起きしてもしかたがない(※)が、起きて06:55の天気予報を見ると、大局的には移動性高気圧ではあるがまだ冬型が残る。上空は30mの西風だそうだ。朝は雪が降っていたので駄目かと思ったが、晴れてきたからツアーは決行。
 リフトの営業開始(※)を待って、08:20に宿を出る。第2・第3リフトはかなり待たされた。リフト上部で「ツアーカード」と言うと「紙が無いから、要らない」だとさ。だから届けは出さないで09:26にリフト上(1820)を出発。樹林帯を少し登って09:48中大巓(1963)へ。ガスの切れ目から見えるのは西吾妻か(実は天狗岩)、遥か右方に目的地・西大巓。時々ガス待ちしつつもシールのまま少し下ってまた緩い登り。真冬の崚線は真っ白な樹氷が林立し、もう本当に樹氷がきれいできれいでたまらない。地吹雪だが空は快晴、強風に頬が凍てつく。10:23天狗岩(2004)、西吾妻の山頂はパスで、10:35西吾妻小屋通過、地吹雪の中を西大巓山頂(1981)へ11:03〜11:15。風下に回り込んでシールを外し、いよいよ滑降。
 頂上直下の少しだけが新雪で快適だったが、すぐ密生する樹林帯の滑降になる。林の中は方向が分りにくいし、日向はブレーカブルクラスト、日影はほけほけの新雪で、滑りにくいこと甚だしい。それでもデコ平あたりを順調に下って、650mほど下ったあたりで、ちょっと方向を誤って沢1つ右へ行き過ぎ、滝の上に出てしまった。仕方がないから右岸を登り返し、左岸に渡ってまた登り返すが、その辛いこと辛いこと。頂上直下の新雪の斜面から樹林に入る時にも、Y本先生のもっと左じゃないかと修正されたが、小生には方向を右へ取りたがる癖があるのかもしれない。とにかく辛い急斜面の斜め登高と樹林滑降で、やっと牧場へ出る
 12:53〜13:11牧場(とおぼしき平地)で昼食。ロッジ製のおにぎり(標準2ヶだが特大3ヶにしてもらった)は1ヶ残して出発。低木の根本に出来た雪の縞模様で風の吹く方向がはっきりわかるような強風地帯をさらに下って、13:40林道の橋へ。ここでも当初予定したコースよりだいぶ右へ下ったようで、尾根の左の沢の林道へ下るつもりが、右の不動の滝へ行く林道の途中に出た(どうも小生は「右旋性」のようだ)。沢は水面が出てすっかり春めいている。林道を小野川湖へ向かって滑る。間も無く小野川の集落。このへんは会津塗りの木地師の住むところで、小椋という姓は木地師の姓だ、などと話しながら、14:00小野川(810)へ。標高差1200mの大滑降は終わった。
 最初にあった(つまり文明社会からは一番遠くにある)人家に声をかけたら(タクシーでも呼ぼうとしたのだっけ?、しかしそれでは湖上滑走の記述と矛盾する、詳細は忘れた)、小椋寅吉さん宅で、やはり小椋姓。元気な老人で、どこから来たか、それはよく来た、まあ上がって茶でも飲んで行け、等々、極めて丁重にもてなしていただいたのだが、言葉が半分も分らない。スキー靴のまま上がれと言われたらしいが、だって畳にだよ、そんなの無理だ、通じないふりをして玄関で靴を脱ぎ、炬燵でくつろぎ、沢庵とお茶を御馳走になった。
 五色沼のバス乗り場までは湖上滑走の予定だったが、15:07のバスには間に合いそうも無いので、トラックで送って貰うことになった。巴組の出稼ぎおじさんの車で、14:37に五色沼バス停着(試しに1000円出して見たらすんなり受け取った)。ここで残りのお握りを食べたり、新雪に大きく「ま」の字を書いたりして、のんびり遊んでバスを待つ。15:07のバスは、除雪(どう考えても道幅に合わない巨大な除雪車輌で、それ自身まともに進めないぐらい)のため遅れて、15:50ごろ来た。猪苗代の町の中も除雪中で更に遅れて16:20ごろ駅へ着き、16:18の列車にはぎりぎり乗れず、17:37のに乗る。郡山では、信号故障で40分遅れて来たやまびこ8号に乗れ、また食堂車で蛎ドリアを食って、席へ戻ってからは飲めないY先生を尻目にウィスキーをぐびぐび飲むうち21:46上野着。新幹線開通前だったが便利になったもので、さっきまで真冬の崚線にいたというのに、もう自宅で入浴している。めんたい茶浸けを食べて寝た。

◆会計:交通費 14,405、宿泊費 3,600、飲食費 4,350、その他 120
 支出合計 22,475
    天元台ロープウェイ片道 330、リフト回数券(12回) 1,500
    猪苗代→都区内運賃 2,900、特急券・郡山→上野 1,700