日程:1992.5.2(土)〜3(日)
参加者:NABE、N村、N井、N取、M志
1992.5.2(土)
大学を15:45に出て、16:15東京駅へ着くが、窓口が込んでいて切符が買えない。ホームにはN取君が来ていて殆ど先頭に並んでいる。あまり込む時間ではなかったようだ。とき421号16:40発、上野でだいぶ乗ってきて、大宮では超満員。しかし熊谷から既に降りはじめ、車内はどんどん空いてくる。上毛高原では立っているのはデッキと、中は10数人か。18:24浦佐着、改札が開くのを待って在来線ホームへ。ここには何も無い。18:49の各停で八色(やいろ)の次がすぐ小出。今日の宿・川善旅館は駅の目の前。ここは奥只見丸山に何度か来ていて、既に見慣れた景色だ。
旅館では一番奥のよい部屋に通された。古い、いかにも駅前旅館で、ばあさんも奥さんも感じがよい。食堂で画面が緑色になっちゃったテレビで明日の天気を見る。今夜は荒れて、降水確率はあすA.M.30%、P.M.60%、これはまずい。
21時前、N井君が到着。公務員模試で遅れたが、遅い時間でも宿で飯は出してくれた。N村君の寝酒を一嘗めして、もう寝る。みんな明日の用意しているのか心配だが、あまりしつこく確認せずに寝た。しかしこの判断は甘かったようだ。
1992.5.3(日)
夜中に時々激しい雨で、雪国だからトタン屋根で、すごい音がする。夢現で「今日はだめか、帰るか」などと考える。
05:30、旅館の若奥さんが起こしにくる。起床してみると、青空だ。これでは行くしかない。今日は長丁場だから一刻も早く出たいのに準備にもたもたする隊員に、若干苛々しつつ、朝飯へ。外では既にタクシーが来て待っている。
06:35、若干名は宿に荷物を預け、出発。タクシーでしばし走るとシルバーラインのトンネルへ入り、トンネルの途中で右折して銀山平出口へ。石抱橋を渡って更に右へ行ってみるが、漁業監視所のある橋までで車は終わり。
07:15下車して、そのまま歩きだすが、地図上で自分が今どこにいるのかよく分からないままの出発。07:30〜40、枝折峠への道との分岐で、スキーを引張る用意をするが、これにももたついて、10分もかかる。この期に及んで流れ止めを結ぶ紐がどうのこうの、ちょっと焦る。
08:15とある沢へ。これが尾根に取り付く柳沢かと思ったが、古い(といっても昨日か)足跡はまだ先へ続くのでそのまま行って見る。空は晴れ上がって来た。しばし行くと今度こそは柳沢で、足跡が薄まる。ここを右か、そういえばよく見ると地形からして、ここが尾根への取り付き地点のようだ。橋は柳沢橋と判明。
澤筋を左岸へ右岸へと2回徒渉。最初は飛び石伝い。2回目は「棒幅飛び」。M君が片足はまった。登りにかかって、09:15〜20尾根筋の夏道で休憩。新しい地図を買って来なかったのが敗因。10:30〜40道行山で、また休憩。この頂上には木が生えている。少し下って雪の上に出て、下りだからすこしスキーで滑るが、帰りの登り返しを想像すると、怖い。11:35〜55、小倉山の次のコルで昼食を取り、時間が無いから早々に出発したいのだが、またもや時間が掛かるので、少々焦る。N取君とM君は、非常食はおろか、水も持たずに来ている事を知って、唖然とした。事前に指示するの忘れたかなあ。まだ目的地ははるか遠方に見える白い山で、あそこまで行ってまた帰って来るのだ、先は長い。
12:15小倉山の次のピーク。12:30頃、百草池らしい平地。12:35〜13:05、スキー的な大斜面の登りで、ここは滑りやすそうだが、この登りでみんな相当参ったはず。
13:30〜35駒の小屋着。ここのおやじが実に感じが悪い。全員の氏名住所等を書き留めた後、あそこを登れ、この沢は滑るな、等々、理不尽にうるさく指示する。この親父、理由も言わずにただあそこを滑れとだけ言うが、見たところ雪崩の危険も無さそうだし、面倒だから隊員諸君にはあまりはっきり指示を伝えなかった。
N取君はももの付け根が痛いとかで、ここで待つ事になった。我々は登る。14:00〜10に頂上へ。いやはや遠かった。天気はなんとか持ったが、空は暗雲立ち込め、寒くて手がかじかむ。早々に滑降始めたいが、またここでももたもた時間を食う。
14:10過ぎに滑降開始するが、下で案の定、小屋番の親父がどなっている。小生が隊員諸君によく言聞かせなかったこともあるが、別に危険でもないのに「沢は絶対滑るな」はおかしい。飲み水を汚されたくなかったのかしら。寧ろ親父が滑れと言った尾根筋の方が、新雪が積っていて、滑りにくい。意地悪されたような気分だ。
小屋へ着いたら、親父が怒っているの何の。おめえらはやっと中級ぐらいで上級者はいない、こんな下手くそはこの山に来る資格はない、下手な奴に限って人の言うことを全然聞いていない………等々、尋常のなじり方じゃない。早々に退散したいのに、N取君は待っている間に出発の準備を全然していない。我々が滑っている間中親父に怒鳴られ続けてびびったのか。我々が着いてから、スキー引き紐をゆっくり解くのを、もどかしく待つ。
いよいよ滑降。小屋から下はかなりの急斜面だが、雪は適度に腐っていて危険は無いので、小生は無論へっちゃらで飛込み、ざっざっと回る。しかし、次が来ない。何と、N取君・M君は、この急斜面を階段登高で降りてくる。その後にも細いリッジが続き、ここもあまりスムーズとは言えないペースで通過。親父が「下手糞め」と言わんばかりに上で睨んでいる。
大斜面へ出てからは、もう待たずに滑ってしまおう。下を登っていた中年に、「あなたはスキーがうまいですなあ」と話し掛けられ、満更でもない気持。15:00、斜面下の平地(百草池)。この辺からはN君も何とかボーゲンで回ってくる。あとは緩い下り。やがてさきほどの登り返し。15:15小倉山下。15:20〜25道行山手前ピーク。15:45道行山。もうこんな時間だ。あとは夏道沿いの雪を斜滑降で下るが、初心者隊員は幅が細い所でスキー脱いで滑落したり(急な斜面でスキーを脱ぐと却って危ない)、目も当てられない状況が続く。道の脇にテントが1張りあって、朝見た方は、親父が怒っていた「言うことを聞かない」代表だろう。2つ目にあったテントは、さっき張ったばかりで、東京のバリトンの声が素敵な紳士で、相当なインテリと見た。小生より少し若いぐらいかも知れない。遅れる隊員を待つ間、しばし話す。
あとはスキーを外して、夏道を降りる。最後は踵キックステップで降りるのだが、またここでも尻餅をついて滑落する者が出る。結構危険なのだよ、転ぶと。
17:20徒渉地点。ここでも「としょうって何ですか」と来るが、初心者は何も知らないのも無理はない。「棒幅飛び」は高い方から低い方へ行くものであり、逆は不可能だった。小生は渡り損なって、両膝まで水没した。いったん靴を脱いだらもう履けないので、ザックから薄い靴下を出して履き替え、ぐちゃぐちゃ言わせながら歩く。
17:30やっと柳沢橋へ。あとは道路歩行、といっても殆ど雪だから、隊員たちはスキーを紐で引く。しかし後はせいぜい1時間で、雨も降りそう。引く準備をする手間を考え、面倒だから小生はザックにスキーを付けて担いだ。ついに小雨が降ってきて、一応ゴアを着たが、無くてもよかった位の雨。大した雨じゃなくて助かった。
18:45、ついに帰着。銀山北ノ又川監視小屋(魚の監視と調査をする所)で、電話を借りてタクシーを呼ぶ。荷物の整理の後、小屋に入れて貰って炬燵でおっさんと話す。この小屋には4月〜11月居て、6年前からやってるが、交替要員なしだそうだ。この川はダム湖の「タネ川」で、イワナ・サクラマス・ヤマメが主。産卵期には80cmぐらいのイワナが登るという。40cmや50cmのイワナが小さく思えるほどだそうだ。宿にも帰りが遅くなる旨電話した。19:20にタクシーが来たので外へ出たら、雨で、寒い。おじさんにお礼を言い、別れを告げて19:25発車。あとはずっとトンネル走行。トンネルを出てからも下り道で、往きより速い。
20:00小出着。家へ電話したら「まだ小出?」とびっくり。しかし新幹線のおかげでまだ東京へ帰るのは可能、便利になったものだ。宿から荷物受け取り、着替えたりする者を待ちつつ、飯。岩魚定食(\1200)と、ビールしこたま。
21:06の各停で21:14浦佐、21:24のとき430号に乗るが、空いている。N井君にビール買ってきて貰い、N村君ともう一口をやってから、居眠りしている内に、23:02上野着。地下鉄銀座線で帰った。しかし4時間ほど前まで雪の上にいたなんて、実感が湧かないねえ。
今日の山スキーには極めて満足した。相当にコクのある大きな山であった。とにかくたくさん歩いた。魚津の毛勝山に匹敵する、11時間30分に及ぶ大山岳スキーツアーであった。
◆会計
JR小出往復 7620
JR特急券 3500
宿泊費 10200
飲食費 3000
タクシー 3010(6550+6460、10000回収)
夕食・ビール 2500
JR特急券 3300(上野まで)
車内・ビール 500
合計 30630
内・交通費 17430