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八海山は雪でリフト運休、山は中止、そして眼窩床骨折手術日記


日程:1994.3.25(金)
参加者:NABE、N井、息子
コース:八海山スキー場および周辺

1994.3.25(金)雪
 予定通り、八海山へ山スキーに行く。メンバーは小生+息子+N井君。昨晩おそくまでかかって息子用に古い150cmのスキーにビネッサを取り付けた。今にして思うに、このへんから既に無理が有った。
 上野発ならば安いスキップがあったが、東京駅で待合わせした関係から、仕方がない。しかし上野で大体満員になったから、東京乗車は正解であった。
 天気は冬型、トンネルを潜るとガスと雪。浦佐から乗ったタクシーの運転手は、この季節は雨が普通なのにと言う。スキー場へ行くと、強風のためという理由でゴンドラがとまっていた。利用者が少ない週日にはちょっとした悪天候でさっさと止めてしまうんじゃないだろうか。
 我々は山スキーに来たのだから、リフトにも乗らず、ゲレンデをシールで登る。コブの斜面はきわめて登りにくく、息子は何度も転んだ。途中のゲレンデ脇の林の中で弁当を食べるが、考えてみると馬鹿みたいだ。雪は雨に近く、ひどく濡れる。こぶのゲレンデから林道へでると、一転して歩きやすくなる。ジグザグに登ったりして遊ぶ。大分登ったつもりがまだゲレンデ中間で、がっかりして建物まででやめた。
 滑降するが、搾ったら水が出そうなくそ重い新雪。林間へ入ったりして、ちょっぴり山気分を味わう。リフトに1回だけ乗った。
 ひどく濡れて、しかも山だからと荷物を全部持っていたのが災いして、着替えもみんな濡れた。寒くて息子が風邪引かないか気掛かり。
 下山後、15:40のバスで浦佐へ。半日の間に路面にずいぶん雪が積もった。
16:10ごろ浦佐駅着。バス下車の際、右足を踏み外した。スキーを抱えたまま転び、途中でセーブ効かず、背中の荷物に再度パンチを食らい、右目に締具がもろに当たったらしい。すぐに起上がるが、鼻血がしたたる。右目の下が切れているようだが、目の下の皮膚の感覚がなく、右目の向きがずれているようだ。
 N井君が救急車を呼んでくれた。スキーを駅に預けようとしているうちに、救急車はすぐに来た。中は狭い。ごつごつ揺れて乗り心地よくない。救急車にはスキーは積んでくれなかったので、結局N井君がスキーを3足持って帰って研究室に届けておいてくれた。
 浦佐駅からほど近いゆきぐに大和総合病院で、右目の下を何針か縫った。転んだ際に地面で背中から濡れたらしく、ひどく寒い。息子は一人で不安に廊下で待っていた。手術後、息子に家へ電話させる。そりゃあ驚いたさ。
 17:15のバスが行ってしまい、タクシーを呼んで駅へ行くと、列車も出たばかり。19:02の列車まで無為に待つ。駅前ファミリーレストランで、息子にハンバーグを食べさせる。小生は吐き気があって気持ち悪く、ラーメンも殆ど食べられず殆ど残す。いぶかしがる店員。眼帯が不便。帰りの列車でも気持ち悪くて耐えがたい。この吐き気は骨折の兆候なのだとは、後で分った。
 新宿駅まで車で迎えてもらったが、家の車に乗ってやっと助かった思い。息子の膝枕で家へ。

1994.3.26から:手術日記

3.26(土)
 近所のA病院へ行くが、頭ごなしに軽くあしらわれた。生身の人間だから傷んで当然、そんなに心配なら目医者へ行けと、皮肉な調子で言われた。
3.29(火)
 A病院で鏡で目たら、結膜が全面真っ赤、こりゃひどい。とにかく痒い、痛痒い感じ。目脂が溜まっている。視線はズレたまま。
3.30(水)
 A病院で明日か明後日に抜糸の予定。眼帯の隙間から見える外界から、視線はまだずれっぱなしであることがわかる。とにかく痒い。鼻(右副鼻腔)からはまだ出血している。
3.31(木)
 A病院で抜糸、ここは今日で終り。傷にはリンデロンA軟膏を塗っておけとのこと。白目はまだ真っ赤。
 右目の動きが制限されていて、15〜20゜下方で左右の視線が合う。しかし視線のずれについては、「そのうち癒る、押さえていたからずれて当然、歩きにくかったら片目をきゅっと瞑ってろ」などと軽くあしらわれた。ただし、鼻はかんじゃいけないという指示があった。ということは・・・この医者は眼窩床骨折に気付いていながら放置を選択した可能性がある。今考えると恐ろしい。ちなみにこのA病院は、H警察署の人までが「あんな病院に行ったら殺されちゃう」と言うそうだ。
 目玉を押さえると右上あごがぷくんと反応する………右ほっぺたの中が裂けているのだろうか(この時点では、まさか眼球があれまでひどく落込んでいるとは知らなかった)。目が心配だが、T本眼科は今日は休診日。無為に一日中TVを見る。三浦ロス疑惑判決に、友人のH中弁護士が法治国家のなす事ではないと激怒している。息子がスキーから帰宅、ジュニア2級に合格した。
4.01(金)
 T本眼科はひどく混んでいて10数人やそこら待った。視力検査は右目はやりにくいが、やられる。レンズの所為でぼけていること、つまり神経の所為ではないことの確認だろう。怪我の様子やしびれの話をすると、彼女(T本眼科は女医)「これは骨折ね」と即座に判断。結膜の出血はそのうち癒るが、骨折は手術しないと神経をはさんでしまって一生目が動かなくなる、眼窩底は骨が薄く圧力で割れ易い………等々。
 瞳孔拡散剤を点眼し、待つこと30分。この間、家に電話すると、家内はショックを受けている。まさか手術とは考えていなかったらしい。診察の結果、眼底は異常なし。目の動きの範囲をざっと見た。病院を紹介してもらう。T本先生が行っている虎の門病院にした。
4.04(月)
 入院出来るよう一応のセットを持って虎の門病院へ向かう。08:30ぐらいから受付始まるが。いるわいるわ、外来患者がた〜くさん。
 紹介状のあて名はK塚先生で、偉い人らしく、紹介状のある患者だけ11時から診ると書いてある。また延々と待つのかと思いきや、先に検査があり、若いちょっとたよりないDr.Nが診て、何と「麻酔して筋肉引っ張ってみよう」などと言うではないか。また待たされ、奥の部屋のベッドに乗せられる。女性[技]が「手荒なことはしませんよ」と言う。麻酔点眼2種類で、痛みはなくなる。思い切り上を向いたり下を向いたりして、筋肉を撮んで引っ張ったりしている。やはり少し痛い。「やっぱり引っ掛かってますね」だって、わかってら、そのくらい。となりの皮膚科でB城という当時有名な名前が呼ばれたが、誰だか確認できず。
 11時、K塚先生の診察。待つこと数人。結局同じ判定で、入院・手術が必要。折れた眼窩底骨の下に0.5o位のシリコンのプレートを入れるらしい。しかし眼科は満員で、電話で確認を取って、形成外科のDr.N村を紹介してくれた。
 再度新規受付で形成外科のカルテを作り、1階の形成へ。まずは写真だということで、腹も減ったがX線。ここでHイMオという馬鹿な患者が、遅い遅い責任者だせと騒いでる。あほらし。腹減って無理にやって失敗したら困るだろ。
 写真を持って再度形成へ。X線写真を見ると、かなり広くぼっこり落込んでいるのが分かる(というが、下から見た写真でわかるのかなあ、正面の写真ではよく見えない)。入院は11日で、手術は13or14日と決まる。
 入院・全身麻酔のためにはいくつか検査があり(血液、血液凝固時間、胸部X線、尿)、CTとMRIも取りたいとのこと。CTはたまたま今日とれた。
 立喰蕎麦の昼食の後、検査を順に済ませ、入院手続きして、しばし家内と喫茶店。セールスマンがテレビゲームしている。
 夕方早目にCTへ行ったらもう開いていた。入院患者の枠に割り込めたのだが、まともに待ったら5月とか言う。実際にはこうやって空いている。苦しい態勢で顔の正面からみた断面を切るように撮影。30分ぐらいかかったかな。今日はこれで終わり。あとは入院を待つだけ。何だかほっとした。
4.10(日)
 いよいよあすから入院で、セット確認。このところ家にいて家族と接する機会が増えたのはよかった。深夜11時に自転車で疾走し睡眠時間4時間などという毎日は、こんな事故が起きなければやめる事が出来なかったかもしれない。
4.11(月)〜4.22(金)
 入院。いろいろな体験をしたが、詳細は面倒だから省く。
 最初は病気でもないのにパジャマ姿で、居場所はベッドしかないのに違和感あったが、そのうち慣れて来る。建築学会大会梗概のチェックなどで手術前日まで結構いそがしい。形成外科の方針として、シリコン板は使わず骨移植することになったが、使う骨は頭蓋骨では毛を剃るのが嫌だから骨盤の内側から取ることになった。術中にうんちが出ないようにお腹を空にするがこれがまた辛い。2人部屋だったが手術前後はルームメイトのY口さんが外泊で、殆ど個室状態。全身麻酔に掛かっている間は時間が完全に止まり、気を失った直後に自室のベッドで目覚め、まさに時差が出来てしまう。術後は傷を氷で冷やすが、早速目の筋肉の訓練に入る。看護婦に日独ハーフの美女がいて、隣人に聞かれたくない会話はドイツ語でやった(そう言えば虎ノ門病院はナースが可愛いでしょ、とT本女医も言ってた)。てな訳で、入院生活は結構楽しかった。くしゃみはするなと厳命され、退院。
4.26(火)
 今日から授業再開。さぼろうと思えばさぼれるもんだ。
4.29(金)
 一瞬の気の弛みから、大きなくしゃみが出てしまった。視線がねじれたような気がする。右の目が確かに少し捩れたようだ。今まで平行にずれていた筈の画像が、5〜20度ずれて、正面さえもきわめて見づらくなってしまった。眼球の筋肉の「あたり」があきらかに変わり、抵抗のあるあのくすぐったいような感覚より、眼窩全体の鈍痛へ。頭が重く頭痛がする。耳鳴りも復活。目玉にはショックは感じず、出血もなかったが、茶色い血のカスが29・30日の両日、鼻から喉へ降りてきた。
 連休は悶々鬱鬱と過ごす。早朝目が覚め、暗い中で目をぎょろぎょろさせてみる。額を固定する治具を作ってみる。みんな気休め。落込む。
5.02(月)
 朝はめっちゃくちゃ込んでいるというので、授業の合間に虎ノ門病院へ。受付は10時で終わりだが、くしゃみで目玉の位置がずれたと言って12時に予約割り込み成功。授業は11:20に終えて虎ノ門病院へ。N医師の診察の前にX線で、またさんざん待つ。2回呼ばれて写真いろいろ撮った。14時近く形成へ。もう待っている患者はいない。X線を見てもよく分からず、なんだこの血のかたまりは、なんて言ってみたり、左右を間違えたり、ちょっと不安ですねえ。結局は16日のCTを見る迄することは無い。23日の診察を予約、「それまで大事に、くしゃみなんかしないように」だって。だったらくしゃみ止め薬を処方すべきだ。若いO医師は「(くしゃみを我慢するのは)難しいですよね」と理解してくれる。
5.05
 正面から上で左右の像が合わないが、その程度は術直後より悪化し、伏し目にしないと見にくい。右目の画像が時計方向に回転する。視野中心の正面でも若干のねじれがあるため、眼球を上瞼からちょっと押すと合う。右目が明らかに低い位置にある。無意識に顔をかたむけてしまうので正確には分からないが、高さの差は2oぐらいか。眼窩全体にぬめーっとした不快感。右頭部に頭痛、右耳の耳鳴り再発、手術前の状況に戻った。
5.07(土)
 神経が戻ってきたせいか、下瞼の傷がひりひり痛む。眼窩下部の内部の傷もじんじん痛む。目玉を上下端部まで動かすとずーんとした鈍痛があり、目の内側から鼻に抜けるような感覚、気色悪い。今日は少しアルコールを飲んでみた。
5.23(月)
 待ちに待った診察の日。CTの結果が出る。授業を早目に終え、虎の門病院へ。予診メモをクリップで挟んで診察券を出す。12:00になるかならない内にすぐに呼ばれた。入るとCT写真があり、小生のメモはカルテに挟んである。写真の所見は「骨は所定の位置にある」とのこと。しかしべろりと垂れ下がった組織はまだそのまま写真に写っているじゃないか。以後の注意は特になく、ひたすら目を動かすことだけ言われた。眼窩内部にあちこちいじったあとのしこりが有るはずで、固くなったところが柔らかくなり始めるのは早くて3ヵ月目以降という。眼窩の奥にいやな痛みと抵抗を感じることを訴えるが、まあ仕方がないとの見解。まだ手術後1ヵ月と1週間じゃ、ヘス検査しても無意味だそうだ。やはりのんびり構えるしかない。そう思うと若干気が楽になった。
 建築学科のクラス会で、友人の息子はボールが当たって目の網膜剥離、しかも薮医者で8ヵ月後に医者が代わってやっと判明し、目の裏側にシリコン注入しておいてレーザーメスでスポット熔接、シリコンは入れたまま、などと恐ろしい事だが、聞いてやや気が休まった。
6.20(月)小雨
 久々の虎の門病院。もうあれからすいぶん時間が経ってしまった。それでもまだ手術後2ヵ月あまり。治癒には時間がかかるものだ。
 11:30予約ちょうどの時間に行き、すぐに呼ばれる。形成外科は空いているのかなあ。Dr.Nは例の調子で軽い乗り。「まだ2ヵ月か、いま目の検査しても殆ど変わりはないでしょう」とのこと。くしゃみは、「もうブローすることは無いと思うけれど………」という調子。スポーツは「何やっても平気、目を打たなければ。飛び込みも目から飛込むことはないでしょう」。ゴーグルを押し付けるのも心配だというと「大丈夫」。目玉を動かすと痺れ部分に感じるというと、眼球の運動で骨が押されて動いてその下の神経を刺激するとのこと。やはりそうか、骨は当分くっつかないわけだ。次回は8月下旬。目の検査はその後。久々にフルートを吹く、良い気持ちだ。
6.25(土)曇・朝にわか雨
 今日で怪我から3ヵ月。傷害保険の手続き完了。目の動きは、筋肉の引き攣れは全く無く、眼窩奥(中心)の塑性変形感が強い。右鼻腔に「変な感じ」がする。目を押しても「鼻に抜ける」感じは起こらない。しかし、寧ろこの頃数日前から、右目視野中心から左にくらげ状の光円が見えるのが気になる。この後、この網膜炎の方に心配が移行し、皮肉にも眼窩床骨折についてはあまり気にならなくなった。
7.25(月)
 右目の網膜炎が気になってT本眼科へ行ってみた。目が捩れた話には「まだくっついていなかったのね」という調子。しかし円板像は、歳とストレスのせいで(老人性とは言わなかったが、そういう意味らしい)、網膜が浮腫んでいるとのこと。しかし彼女、夏休みがあるので、検査(蛍光剤造影)で眼底写真見るには8月18日になってしまう。それまでは気休めにダーゼンとアリナミン25ミリ。病名は「中心性じゃないから、『傍中心性網膜炎』だわね」とさ。
7.27(水)〜30(土)、研究室のソウル旅行。
 研究室合宿としては2回目のソウル。なかなか楽しい旅行だったが、50年ぶりの猛暑とかで、暑くてぐったり疲れて夕方ホテルに帰り、鏡に写った顔のあまりに落ち窪んだ右目を見てショック。
8.14(日)
 顔面の痺れ範囲は一向に改善されない。結局、右唇上部から瞼の下まで恒久的な痺れが残った。
8.19(金)
 朝、T本眼科へ。視力は変化なし。寧ろ1段階弱い眼鏡の方が合う。この眼科医で検眼すると、きつめの度数で診断される傾向があるようだ。
 写真が持って来てあって、時系列で丁寧に解説してくれた。網膜の腫れに血管の漏洩箇所がある。腫れはピークを脱し、見えにくくなっている部分も腫れが癒れば見えるようになる。レーザー治療は出来るなら避けた方がよい。虎ノ門病院のDr.Uははっきり物を言うでしょう、貴方よりずっと年上ですよ………等々。眼鏡は、1ヵ月ぐらいしてから作ったほうがよいとのこと。散瞳のせいで、午前中は使い物にならず、TV見て寝ていた。
8.29(月)
 久々の形成外科。客、じゃない、患者がいっぱい。10時前に呼ばれ、懐かしのDr.Nの診察。大分動くようになったが、まだこれから2ヵ月位かかってしこりが取れるとのこと。ヘス検査(左右の眼球が視野周辺部でどれだけずれるかを見る「複視」の検査)もそろそろしなくちゃならないが、まだ早いから今度にしようとのこと。傍中心性網膜炎のことを言うと、カルテのファイルに入っていた。関連あるかと聞くと、「うーん」だけ。右目が落ち窪んでしまったことを訴えると、鼻に落ちてしまった部分があるからねえ、と。癒らないかと聞くと、何と「脂肪移植だね」、こんな手があったのか、これを聞くともう気にしないでおこうという気になった。次回は10月。治癒には長い時間がかかるのです。そう言えばこのごろあまり目の運動していなかった。以前は電車の中で上の方を見て目玉をぐるぐる回していて他人にいぶかしげに見られたものだ。まだまだ動かせと言われた。
 もうこの頃はすっかり飲むのには復帰。委員会帰りに八重洲口の「ゆうかり」という地酒(地元の酒という本来の意味からは間違い?→日本各地の「地酒」)の店で、いつものメンバーで飲む。今日は香川県の「綾菊」4合(濃厚・ややひね味)、「幻の瀧・大吟醸」2合(端麗だが吟醸香が強い)、最後は選びあぐねて「招徳」2合(ややひね味、失敗だった)。
9.04(日)
 朝寝坊して、一日仕事しないと決心。あとが怖いが、まあストレスを掛けないようにのんびり生きて行こうじゃないか。
 夕方、久々に自転車に乗ってみた。駒沢公園へ行ったら、ちょうど自転車部風マウンテンバイクがいたから、後を付いて行く内に、ついつい4周し、合計13km走った。上目使いに前を見ると、視線が先にゴーグルに掛かってしまうから、心配した複視の影響は実はもう無かった。そろそろ自転車通勤に復帰しよう。
 かくして、N村医師が言ったように「何ヵ月も経って、気付いたら視線のずれも気にならなくなっている」状態になった。