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ギャラリー



みなみかぜプロフィール

大阪生まれの大阪育ち
1962年4月27日 牡牛座 B型
両親は、すでに他界
仕事は、その父がしていた、運送会社の事務。
今は、父の弟が経営。
兄弟は、一つ下の妹と7つ下の弟あり
ダンナ様は、2つ年下で介護関係の送迎とか観光などの乗務員
子供なし。
      
子供の頃は、お父さんが大好きで、よく休みのたびにどこかへ連れて行けと、
せがむ子供だった。
幼稚園の頃から絵が好きで、何かのコンクールに入賞したらしいが覚えていない。
近くに画家の他人だが、おじいさんがいたことは、しっかり覚えている。      
小学生の頃は、アタックNO1が好きで、近所の子供達とバレーボールで遊んでいた。
マンガも大好き。
マーガレットを、おもに読んでいた。
ガラスの仮面などは、単行本をすべて集めていた。
マンガ家になりたいとか、デザイナーになりたいとか、
なりたいことがころころ変わった。
その頃から、音楽も大好きだった。
西城秀樹が大好きだった。
中学の頃は、バトミントン部とかソフトボール部とか入っていた。
高校の頃も、ソフトボール部に入ったが、練習がきつくてやめてしまった。
高校が商業科だったのは、将来、父の会社の手伝いをする為。
そろばんが苦手だったけど、電卓の計算なんかは、得意だった。
パソコンのような機械をさわるのも好きだった。
ワープロもまだまだこれからの頃で、英文が和文か選択しなくてはいけなかったので
私は、和文にした。
和文タイプライター、楽しかったなぁ。

そして、父の知り合いの会社へ就職。
1983年の夏、父が50歳で他界。
風邪をこじらして、肺がんになり完治はしたものの、家の階段から落ちて頭を打ち
そこへガンが転移して、ずっと入院していた。      
会社で父危篤の電話を、父の弟のおじさんから聞き、その車で急いで病院へ行ったが
、すでに、亡くなっていた。
泣き崩れるおじさんを見ながら、なぜか私は呆然として見ていた。
一生懸命、今まで働いてきたお父さんの、安らかな顔を見て何だか、お疲れ様の気持
ちがしたのかなぁ・・・。
葬儀でも泣かなかった。
母をしっかり支えなきゃいけない・・・そんな思いの方が強かった。
社葬だったので、取引先の偉い方がたくさん来られていたし、おじさんの手助けもあり
、いろんな手配もスムーズに行われた。
こんなにたくさんの方に見送られて、旅立つことができるんだ。
凄い人だったんだと、改めて尊敬した。
やはり私は、お父さんが大好きだっと思った。
それからしばらくして、一人で泣いてしまった。
      
それから、父の会社へ入った。
建設資材のリース会社の下請けで、資材を運ぶ運送の仕事をする会社で事務を。
母親が社長になった。

1988年、スターダストレビューにねむの里で衝撃を受ける。
三谷さんとの出会い。
カルロス&オメガトライブが好きで、見に行ったイベントで、スタレビを見て大好きに
CDもビデオも、全部買いました。
ライブも、たくさん行きました。
お友達と私設のファンクラブ「SUPER CHARMING」も作りました。
夢のような日々でした。
そして、三谷さんがソロに。

1996年、結婚。
ずっと結婚したくて、お見合いパーティだとか、いろいろ行ったけど、あまりいい人が
現れなくて、結婚相談所に登録した。
当時は、コンピューターで選ぶ所もあったけど、私は、昔ながらの仲人さん制度のある
所へ入った。
かなり見合い経験あります。(笑)自慢にならない。。。
一生懸命行く私に、仲人さんのオススメとして、今のダンナを紹介されました。
年下と聞いて、一度やめようかなぁ・・・っと思ったのですが、せっかく進めてくださ
るのだから、いい人に違いないと思い、会いました。
本当にまじめで丁寧で・・・・(笑)
面白しろそうな人だなぁ~という印象。失礼。
そして、お話はすぐに決まりました。
自分でも、びっくりです。
決まるときは、あっさり決まるのね・・・・。
仕事は、お休みがなかなか取れなくて、寂しい思いをしたことが多々ありました。
本当にこのままでいいの?
寂しさのあまり、余計なことを考えたりしたこともありました。
ダンナ様は、一生懸命働いてくれているのに、そんなこと言ってはいけない。
一人で、ご飯を食べる毎日でした。
子供もできなくて、不妊治療にも通いました。
そんな頃、糖尿病の持病がある母が、何だかおかしいのです。
何だか、ボケの症状のようなことを言い出し、サイフがないとか、誰か天上にいるとか
買ってきたサンドイッチを、玄関に置いて忘れていただけなのに、それを誰かが食べた
とか。
そんな母を一人にしておけなくて、暫く私の家に来てもらいました。
ディサービスも利用して。
そんなある日に、自分のマンションへ帰りたいと言うのです。
もちろん反対しました。
でも一晩だけということで、それならと許したんです。
ダンナも一緒に住んでもいいと言ってくれたのですが、母は、気を使うからと・・・・
その晩電話がありました。
「○○さんに、ありがとうって言っておいてね」っと。
ダンナの名前です。

そして、その朝、私は仕事へ出かけました。
会社で仕事をしていると、妹から電話がありました。
今日は、病院へ行く日で、妹に付き添いを頼んでいたんです。
迎えに行って鍵を開けたら中にチェーンがつけてあり、呼んでも母から何も応答がない
と。。。。
あわてておじさんと、何か切断できるものを持って、向かいました。
中へ入ってみると、母が倒れていました。
呼んでも応答がなく、救急車を呼んで、診察。
脳の血管の大切な所が切れているとの話。
意識のないまま、人工呼吸器をつけて寝ているだけ。
なんで一人にしてしまったんだろう・・・・私は、自分が悪かったのではないかと・・
前日の電話の際、わがままばかり言う母とケンカしてしまったことなど後悔しました。
一緒にいれば何か出来たのかもとか、色々考えました。
そして、2002年、母は65歳で静かに亡くなりました。
自分で分かっていたんだろうか?
何だか今でも不思議です。
そして、葬儀は私が仕切ることに。
母の時は、普通にこじんまりと行いました。
気負いがあってか、ここでも泣くことがなかった私。
後でじわっとくるんですよね。
鈍い?のかな
そして現在、おじさんが会社を経営しています。

念願のマイホーム購入。
HPも開設しました。
念願のHP
嬉しかったなぁ。

2005年、入院。
なんの病気かは、言えませんが、初めての手術でした。
blogをはじめたのもこの時。
病院でも書けるからというのが理由。
不安でした。
なんでこんなことに・・・・。
色々不安がっていたらダンナが、「心まで病気になったらダメだ」と
言ってくれました。
毎日、ダンナが顔を見に来てくれました。
遅くなっても必ず。
手術後も体が辛くて、なかなか眠れませんでした。
皆さんがblogにコメントくださって嬉しかったです。
2009年現在まで、定期で通院もしています。

入院して思ったことは、やはり人生一度きりだから、楽しまないと損っていうこと。
一生を終えるまで、好きなことに邁進しようと思ったのです。
くよくよ考えても何も変わらない。
自分を変えていくしかない。
あらゆることに対応して、自分を変えていくことが大切なんだ。
人を変えようなんて無理なのだから。
そう思うようになりました。
不満や、いやなことたくさんありますもん。
自分で自分の人生を捨てることだけはしないでおこうと(笑)
負けないぞ~。。。
父よりも、長生き出来たので、今度は、母よりも長生きします。笑